同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 教会と聖霊の時代 —

「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。・・・その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」
(マタイ 3:11)

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
(ヨハネ 14:16-17)

「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
(コロサイ 1:27)

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、・・」
(Iコリント6:1)

 今年は5月27日(日)がペンテコステです。関連するみことばをいくつか引用しました。これらを私たち自身が「悟り」となるまで、心の内に保ちつづける、いわゆる「あたためる」ことが必要です。
 キリスト教の門をたたけばそこに教会があり、否応なく教会の時代に生きることがなされます。しかし、私たち自身と、私たちの生きる教会を潔め、真理の柱真理の基とする聖霊、私たちの内に住まわれる聖霊については、聖霊を受け、聖霊と共に歩み、聖霊についての知識を与えられて周囲の人々に証しすることにおいて、はなはだ心もとない現状です。
 先月の論説に、筆者は「イエス・キリストを救い主と信じていたけれども救いを与えていただいていない時期があった」ことを述べました。同様に読者の皆さんのうちに、「聖霊がおられ、聖霊を受けることができると信じている」けれども、イエス・キリストが語られた意味で助け主、真理の御霊を受けていない方々おられると推察します。
「信じたとき、聖霊を受けましたか」(使徒19:2)これが、使徒時代の教会のあり方でした。キリストとキリスト教に関して、教会に関して、聖書に関して、聖霊に関して十分な知識を得れば聖霊を受けられますか?
使徒の働きに記された人々はそうではありませんでした。ただ神が使者に立てられた人の語ることをそのまま信じ、受け取っただけでした。今の時代も同様のあり方で使者、聖霊の満たしの証人、を迎える人が聖霊を受けることができるのです。
 神の教会をいのちに溢れるものとするために、「聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20:22)これがイエスのご命令です。

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