同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— マシュー・ヘンリー <比類なき注解者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/kidakei/
にアクセスすると元の文を読むことができます。>


 幼い頃、私は父のお供をして、(最初のうちは、馬と馬車で)あちこちの町や村の牧師たちを訪問して歩いたことを覚えている。その質素な牧師館に入ると、彼らが手に入れることのできた数少ない蔵書は、常に、第一の関心事であった。彼らの秘蔵の書物の中にたいがい見出される注解書が、マシュー・ヘンリーの注解書全集であった。それは、牧師たちの説教の準備に使われていたばかりでなく、しばしば、ヘンリーの力強い言葉は、話し合いの主題となり、さらに、深みがあり、心を暖かくし、魂を奮い立たせ、共に喜びをもって分かち合う言葉となっていた。
 そして、この本は、説教者だけではなく、日曜学校の教師たちや、分級のリーダーや、霊的な講演者たちによって高く評価された。また、一般の人々も、単に霊的励ましを得るためや、毎日、家庭の中で読むために、この注解書をしばしば用いた。  マシュー・ヘンリーの注解書は、1700年代の初めに出版されたものであるが、その後、何十年、何百年もの間、そして、現在に至るまで、幅広い人々から称賛を得てきた。
ウォーレン・ウィアズビは、最近、次のように語った。「これは、おそらく、英語で書かれた注解書の中で、最もよく知られたものである・・・霊的、実際的聖書講解において、この注解書は、非常に優れている。」
ウィルバー・M・スミスは、広く愛用された『有益な聖書研究』という著書の中で、“聖書全巻の注解書”のリストのところでは、わずか、7つの書名を示すのみですが、ヘンリーの著作まで来ると、「最後に、当然、マシュー・ヘンリーの有名な、新旧約聖書講解について一言。あらゆる面から、彼こそ、注解者中の注解者であり、牧師たちは、他の英語で書かれた同様のいかなる本から得るよりも、たくさんの説教の材料を、彼の注解書から得てきた・・・彼の注解書は、きわめて霊的であり、この領域においては、この世にキリスト教会が存在する限り、まさに、最高峰に位置づけられるであろう。」と語る。
 また、スミス博士は、彼の一冊の著作物の中でマシュー・ヘンリーに言及するだけでは満足せず、「牧師の書斎からのこぼれ話」という本では、まるまる一章をヘンリーのために割いている。その中のある部分で、「かつて、英語で書かれた注解書の中で、最も偉大な霊的注解書、すなわち、福音の奉仕者たちに、他のいかなる注解書よりも多大な影響を及ぼしてきた注解書は、今から、200年ほどまえに、マシュー・ヘンリーによってかかれた注解書であるということを、すべての人が認めている。」と言っている。
 アメリカにおけるマシュー・ヘンリーの注解書の主な出版元であるフレミング・H・レベル社は、長くサンデー・スクール・タイムズの編集長をつとめられた故チャールズ・G・トランブル博士に、注解書の新版の序言を書いてくれるように依頼した。トランブル博士は、「マシュー・ヘンリーは、神の言葉を深く掘り下げている;彼は、我々一般には隠されている真理を見ている。彼は、私たちの毎日の生活における、神の知恵の最も実際的適用を発見している;・・・今から、200年まえに、マシュー・ヘンリーの注解書から流れ出した祝福の流れを、誰がたどることができるだろう?」と言っている。トランブル博士は、最後に、‘二万四千冊の図書を所有し’、長くPeloubet's年間教会学校教案誌の編 集長をつとめたアモス・R・ウェルズがマシュー・ヘンリーの注解書について言及した言葉を引用して、「いつでも使うことができ、読む度ごとに祝福を受ける、マシュー・ヘンリーの注解書のような書物は、ほかには存在しない。」と結んでいる。
 私たちは、C.H.スポルジョンのこの注解書に関するコメントを見落とすわけにはいかない。彼の有名な「注解と注解書」という著書の中で、彼は、1400以上の書名を列挙しているのであるが、“聖書全巻の注解書”の欄に、65の書名を掲げている。ヘンリーについては、「一般的有用性という点で、たくさんある中のまず第一として、よく知られた名前であるマシュー・ヘンリーについて述べよう。彼の注解書は、非常に敬虔で力強く、健全で思慮深く、示唆に富み穏健で、味わい深く信頼できる・・・常に簡潔にして巧みで、内容が濃い・・・十分な論理から、・・・あらゆる人々にふさわしく、すべての人を建てあげる最も実践的で賢明な教訓を導き出す。」と言っている。
 ヘンリーの注解書が、便利であるのは、主に、単純で、ごく一般的な人々にうけるからであるとほのめかされてきたように感じる人がいると困るので、オーガスタス・H・ストロングの著した学問的な組織神学の中で、人間の原初の状態、贖罪の性質、贖罪の範囲の項に、少なくとも三度引用されていることを述べておこう。国際標準聖書百科事典の編集者であり、学者であるジェームズ・オアは、注解書というかなり長い項目の中で、ヘンリーの“聖書記者が意味するところを理解する天才的な洞察力”について言及している(ヘンリーは、ラテン語やフランス語と同様のレベルで、ギリシャ語に精通していた)。
 さて、先を急ごう。ヘンリーが、どのようにして主をそのように深く知るようになったのか少しでも知りたいと、皆が言うのも、もっともだと思う。事実、彼の伝記作者のひとりであり、ヘンリーと同時代に生きたS・パーマーは、“ヘンリーの思い出”の中で、「それほどの名声を得たヘンリーの注解書の読者は、たいがい、その著者について何か知りたいと思う;・・・キリスト教界において長い間、高く評価され続けてきたヘンリーの注解書を使う人々は、この優れた人物について、何か情報を得たいと思うだろう。」と語り始めている。
 物語は、彼の父、敬虔で忠実な非国教徒の牧師であったフィリップ・ヘンリー師から始まる。1662年、マシューは、生まれた。「大変虚弱な子どもであったので、だれも長く生きるとは思わなかった・・・長い間彼は病弱であった。」しかし、別の人はこう言う。
「確かな筋からの話によると、彼は、3歳の初めの頃には、はっきりとしたことばで、聖書を読むことができた・・・マシューが、若干9歳の時、父に宛てた手紙から抜粋しよう:
『毎日私は、ラテン語を学び、ギリシャ語聖書を二節学んでいます。』」毎日、家庭において朝と晩に聖書を読むことが、確かに、この少年にその影響を与えた。
 マシューの父親は、息子の回心に重要な役割を果たした。父親の普段の講壇での奉仕が、積み重なっていたという背景もある。しかし、最終的には、とりわけ、ひとつの説教が実を結んだ。マシュー自身のことばによると、「最初の永続的な宗教上の回心は、十歳の時、詩篇51:17から『神へのいけにえは砕けたる魂』という彼の父の説教を聞いた時にやって来た。」マシューは、「その説教は、私の心を溶かした;それ以来、私はキリストを探求し始めた。」と語る。
 さらに、「二日ないし三日の間、私は、地獄に対する非常な恐怖に襲われていた・・・私は、真剣に自己吟味をし続けた─私が死んだとき、天国に迎えられるいかなる希望を持っているか?・・・今まで、そうしたことがなかったのなら、今、それをしよう。なぜなら、キリストにあって、神を自分のものとしたのだから。私は、自分自身を捨て、主のものとなろう・・・牧師たちは、私に、罪を悔い改め、キリストを信じたなら、私は、赦されたと信ずべきであると確信させた。私は、確かに、キリストのゆえに、赦されたと信じる。このことは、いくつかの聖書のみことばに基づいている・・・。」と語り、続いて、伝記作者は、「この興味深い資料から、ヘンリー氏は、11歳になる以前に、知恵─すなわち、彼自身の魂の状態に関する知識の急所と本質とを握っていた事が明らかです。」と解説している。
 他の伝記作者は、そのことをこの様に表現している。「『求めなさい。そうすれば与えられます』という御言葉は約束です。その約束は、求めるすべての人に成就するように、マシュー・ヘンリーの上にも成就した。彼は、キリストの贖いの血潮を見て信じた・・・そして、これは、冷たい形式張った取り扱いではない。ひとりの人が、赦されるために、特に、自分自身の罪を赦していただくために、キリストを信じるとき、『罪のための嘆き、恥、悲しみ・・・』がある。この伝記作者は、私たちも体験したその出来事に言及し、ついで、『この幼い日の出来事は、・・・現実に起きた出来事の記録─すなわち彼の地上と永遠の世界での真の幸福の始まりと見るべきである。』と語る。」
 ある意味で同じようなことを、もっともっと後になって、ウィルバー・スミスは、このヘンリー自身の出来事に関して、私たちに、次のように語った。「自分の回心について記録して、彼は、『霊的あわれみのゆえに、主イエス・キリストのゆえに、恵みと、赦しと、平和・・・のゆえに、砕かれた心のゆえに、照明のゆえに、主イエスよ、私はあなたをほめたたえます・・・そして私があなたのものであり、これから後もあなたのものであることを感謝します。』・・・と書き記し、同じ日記に、・・・後の、彼の聖書に関する仕事のすべての泉となった神の言葉に対する彼の愛が表明されている。」
 トランブル博士は私たちにこの注解書を残した人物のもう一つの労苦に言及している。
「彼が、この注解書を生み出したばかりか、他に45の本やパンフレットを書き、しかも、42年という人生の間に、牧師として、説教者として、父としての多くの義務を果たしながら、そのようにしたという、その勤勉さと献身に驚嘆する。」
 私たちは、その時代の困難が、この様に偉大な人物を作り上げたと結論することができるだろう。シルベスター・ホーンは、自由教会通史の中で、「ワッツが、教会の礼拝改革によって、全キリスト教会に永続的義務を負わせている間に、非国教徒の神学者は、静かに、労苦して、最も価値のある重要な仕事を完成させつつあった。追放された牧師のひとりであったフィリップ・ヘンリーは、そのピューリタン主義のためだけに苦しんでいたのではない。彼が追放された直後に、息子マシューが生まれた。非国教徒が集会をする困難は、危うく、マシュー・ヘンリーを法律の世界へ進ませるところであった・・・マシュー・ヘンリーの注解書は、聖書講解の標準となり、時代を越えて最高の注解書となった。彼は、 たぐいまれな、創造力に富んだ豊かな知性を持っていた。・・・」私たちは、マシュー・ヘンリーが、法律の学びを継続しなかったことに感謝しなければならないだろう(実際には、法律の学びを始めていた)。神よ。今日、私たちにも、同様の犠牲を払って、喜んでキリストに全く従う人々を与えたまえ!