同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 救いの証 —

吉田 浅


 私の住んでいる盛岡市には3本の大きな川が流れています。今年も、その川に鮭の遡上が見られる季節です。私の住居は中津川の川べりにあり、毎年この季節になると鮭のニュースが気になるところです。2019年の岩手県の鮭の回帰率は0,2%と言われています。回帰率は毎年少しずつ下がっています。鮭が川の浅瀬をのぼってきていると「ガンバレ」と励ましたくなります。
鮭が放流された川に戻って来るのは皆さんもすでに御存知のとおり、産卵するためであり、新しい生命を生み出すためです。
今回は私の救いについて証させていただきたいと思います。私は1953年八幡平市の農家の三男として生まれました。両親は貧しいながらも私を一生懸命育ててくれました。小学校、中学校と神様を知らない生活をしていました。高校は盛岡の学校に入学しました。入学後に大きな悩みにぶつかりました。中学までは勉強とクラブ活動(野球)に熱中していましたが、自分の将来について悩み始めました。自分は何のために生きているのだろうか、将来、自分の望む職業につき生活ができたとしても何になるのだろうか、その後はどうなるのだろうか、自分が死んだ後どうなるのだろうか、等、いつも頭の中をかけめぐり、むなしい思いがいつも頭をよぎっていました。
そのような中、1971年7月14日、初めて教会に行きました。高校3年の時でした。
特別伝道会終了後に中京教会の故 秋山光雄先生が祈って下さったことを覚えています。集会中の話の内容はわかりませんでしたが、暖かいものを感じ、ここが自分の来るべきところなのだ、自分の探していたものはこれだと思いました。
それから礼拝に出席するようになり、この天地、人間を創造された神様がおられること、人間は神様から離れ、罪をもって生きている事、イエス様が人間の罪を赦すため十字架にかかり死んで3日目によみがえられたこと、自分の罪を悔い改め、イエス様を信じうけいれるなら救われ、永遠の命をいただくことができることを教えていただき、その年の12月19日に洗礼を受けました。
洗礼直後は救われたという確信を持つことはできませんでした。
その後も自分の罪を悔い改めていくうちに「自分は救われた」という強い確信と平安をもつことができるようになりました。
神様は私に新しい命、永遠の命を与えて下さいました。救われて49年以上経ちました。その間、就職、結婚が与えられ、子供たちも受洗し、3人とも救われ奉仕に励んでいます。毎週礼拝にも出席させていただいています。
今振り返ってみれば、神様は何も知らない自分をひきよせ、人生の様々な道を通らせながら罪人であった自分にその罪を教え、悔い改めと救いに導いて下さったことを覚えます。自分の努力や熱心さ、まじめさではなく、ただ一方的にあわれんで下さったこと、クリスチャンの先輩や牧師を通し、又、周囲の人々の助けをいただきながらここまでこられたことを、感謝しています。

(盛岡聖書バプテスト教会会員)