同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 祖母の召天記念日をおぼえて —

茂永 頼子

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ 3:20-21)

10月17日は祖母・佐々木紀子の召天記念日で4年が経ちました。その記念をおぼえて私から見た祖母について証しさせていただきたいと思います。
 私の祖母は75歳で天に召されました。
祖母は電話の受話器を少し離さなければならないくらい大きな声で話す、とにかく元気なおばあさんでした。
教会で私がクリスマスの劇やコンサートに出る度に豊里から箱いっぱいに入ったお菓子を持って見に来てくれたり、畑で育てた野菜を大きな段ボールに詰めて送ってくれたりしました。
近所で助けが必要な人がいるなら自分のことはさておき、すぐに駆けつけお世話をしてあげるなど孫である私をはじめ多くの人を愛し、また愛されていました。
そんな祖母は、きっと100歳まで生きるだろうと家族で話していたので、祖母が倒れたと聞いたときは信じられませんでした。
病院で沢山の管につながれた祖母の変わり果てた姿は今でも目に焼き付いて離れません。
脳の血管が切れ、話すことはできなくなりましたが、意識が回復し半年間の闘病生活を送りました。
祖母の病室には多くの教会員の方がお見舞いに来てくださり、祖母のために祈り、聖書の話をし、時には大きな声で賛美をしてくださいました。
 祖母は倒れてから1週間後に病床で洗礼を授けていただきました。
倒れる前に信仰告白をしていたわけではありませんが、事あるごとに教会に来てその場に和する祖母の姿を嘉納先生が捉えてくださり、洗礼が授けられました。
その後、叔母が祖母に洗礼を授けていただいたんだよと話しかけたところ、祖母は確かに頷いて喜んでいたそうです。
 私は祖母の死から半年後に救いの恵みに与りました。そのきっかけの一つとして祖母の死があったことは間違いありません。当時の私は人の死を目の当たりにし、自分にもいつかは訪れる死に対して恐怖をおぼえました。
しかし、祖母の闘病生活が本当に愛と平安にあふれたものだったことを思う時に、私が神と教会につながり続けるならきっと祖母のように愛する人々に囲まれながら最期を迎えることができるということに気づかされました。今では死に対して全く恐さがないわけではありませんが、それよりも天の御国で愛する祖母に再会することができる恵みを心から感謝しています。
 祖母は先祖代々のお墓ではなく、新しい墓地に一人の信仰者として葬られました。今年もその記念をおぼえて先生方に来ていただき、墓参をすることができたことを心から感謝いたします。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)