同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— イエス・キリスト —

「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」」(マタイ 2:1-2)

 イエスを礼拝しにやってきた、東方の博士たちはマギと呼ばれた人々であったと思われています。マギは、もともとは魔術師、その地の神々の礼拝を取り仕切る人々でしたが、星を見てといっているように、占星術、天文学に携わっていたことでしょう。マギはさらに数学、測量をはじめ現在科学と呼んでいるもの全般の権威者たちがそう呼ばれました。そのなかに「錬金術」というものがありました。今では化学の領域になります。錬金術というと人を欺く偽の学問のように感じますが、当時はまじめに探求していたもののようです。
 ワイレーとカルバートソンは「キリスト教神学概論」のキリスト論の序文に、この錬金術師たちのことについて触れ、イエス・キリストこそ真の錬金術師であられたという意味のことを書いています。

 錬金術師たちが追求したものに、三つのことがあったそうです。
その1は、鉛や鉄のような言わば低級な金属を金に変換する「化金石」の技術です。
その2は、不純な滓である溶けにくい混ざり物を溶かして除去し、純粋なものにする「万能溶解液」技術です。
その3は、「不老長寿薬」をつくりだすことです。

錬金術師たちは、物質の世界にそれを求めましたが、イエス・キリストは霊の世界にそれを完成しておられます。

 イエス・キリストは、有用な金属ではない滓の塊のような私たちを変え、
「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。」(マラキ 3:3) と書かれている通り、金銀宝石にしてくださるのです。このみことばには、レビ人とありますが、今は「万人祭司」で、私たちすべてがあてはまります。
 イエス・キリストの血は私たちの内にある不純物である罪、汚れを取のぞき、私たちを清いものとして下さいます。
 そして私たちに「永遠のいのち」、新生のいのちを与えてくださいます。これこそ不老長寿です。

 「拝みにまいりました。」これが、私たちのとるべき姿勢です。自らの命をもってそれを私たちに備えてくださったお方を、真心をもって礼拝いたしましょう。外側のことでなく、心から真実に。そうするならば、私たちはこの三つの幸いに与ることができます。(ローマ 12:1)