同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語

— 聖歌476番「やすけさは川のごとく」 —

     作詞;ホレイショ G.スパフォード(1822-1888)
     作曲;フィリップ P.ブリス   (1838-1876)
     引照;「神はわれらの避け所、また力。
          苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇 46:1)


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

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      この多くの人々に愛唱される賛美歌は、シカゴに住む長老派の平信徒ホレイショ G.スパフォードによって書かれた。彼は、ニューヨークのノーストロイに1828年10月20日に生まれた。若くしてスパフォードは、シカゴにおいて最も成功した法律業務を営む地位を築いた。しかも、その成功にもかかわらず、彼は常に、キリスト教活動に熱心な関心を持ち続けた。彼は、D.L.ムーディーや、その時代の他の福音的指導者たちと密接で活発な交際を楽しんでいた。彼について、著名な福音音楽家ジョージ ステビンズは、「並みはずれた知性と、上品さと、深い霊性とを持った、聖書の熱心なる探求者」と記した。

     1871年のシカゴ大火の数か月前、スパフォードは、ミシガン湖畔の不動産物件に、莫大な投資をした。そして、彼の資産は、この大災害によって、焼失した。丁度この少し前に、彼は、息子の死を体験していた。スパフォードは、イギリスにおいてもたれるムーディとサンキーの集会に出席し助けるため、また、妻と四人の娘たちの休養をかねて、1873年に、一家のヨーロッパ旅行を計画した。その年の11月、仕事の詰めの段階での思いがけない展開によって、彼はひとりシカゴに残り、妻と四人の娘たちを計画通り、船に乗せて旅立たせた。彼は数日後に後を追うつもりであった。11月22日、その船は、イギリスの貨物船と衝突し、12分後に沈没した。数日後、生存者たちが、ようやくウェールズのカーディフに運ばれ、スパフォード夫人は「ひとり助かった」と電報を打った。
    間もなく、スパフォードは残された夫人を迎えに船に乗った。「悲しみは波のごとく我が胸満たすとき」とスパフォードが個人的な悲しみをこの詩の中に、非常に意味ありげに書いたのは、彼の四人の娘たちが溺死したと考えられる海域に近づいた時だったと推測される。

     しかし、スパフォードが、この詩の主題を、人生の悲しみや試練に留めておかず、むしろ、三節ではキリストの贖いの御わざに、4節では栄えあるキリスト再臨の期待へと注意を向けていることは重要です。人間的な言い方をすれば、ホレイショ・スパフォードが経験したような個人的な悲劇と悲しみを体験した人が、なお、「すべてやすし」と得心の行く明瞭さで語ることが出来るということは驚異的なことです。

     彼は晩年に、精神錯乱を経験し、そのため、自分が再臨のキリストであるという妄想を抱いてエルサレムへ行き、1888年、その地で60歳の生涯を閉じた。

     フィリップ P.ブリスはスパフォードの体験とその詩とに非常に感動して、すぐさま、その詩に曲をつけた。それは1876年に出版されたサンキーとブリスによる賛美歌集の一つ福音賛美歌第二巻に最初に発表された。