同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語

— 聖歌428番「とうとき泉あり」 —

     作詞;ウイリアム・クーパー(William Cowper , 1731-1800)
     作曲;ロウエル・マンソン(Lowell Manson , 1792-1872)
     引照;「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる
          一つの泉が開かれる。」(ゼカ リヤ書 13:1)


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

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     ウイリアム・クーパーは、英国古典文学界では、非常に尊敬されている人物です。彼はPope(1688-1744,擬古典派詩人)とShelley(1792-1822,叙情詩人)との間にあって、最も誉れある詩人であり、ある人々からは、英国のあらゆる作家の中で、最も優れた人物であると目されている。彼の良く知られた非宗教的業績の中には、ホメロスの翻訳、広く喝采を浴びた詩集「仕事」、彼の最も文学的詩で幸福で陽気な物語「ジョン・グリピン」などがある。
    クーパーは、1731年11月15日、英国のバーカムステッドに生まれた。彼の父は、英国教会の牧師であり、母は、良く知られた王族の出身であった。幼少期を通じて、クーパーは虚弱体質で、感受性が強かった。彼の情緒不安の原因は、わずか6歳のときに母を亡くした事に由来している。彼は、晩年になって「母を亡くしたときほど嘆いたことはなかった」と述懐している。

     クーパーは父の意向により若い日に法律を学んだ。しかし、その学びも終える頃、最終試験のために法廷に出廷しなければならないと分かると、大変驚き、精神的崩壊をきたし、自殺すら試みた。こうして、精神病院に18ヶ月間入院することになった。この入院期間に、聖書の一節(ローマ3:25)「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰によるなだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されてきた罪を神の忍耐をもって見逃してこられたからです。」に触れて、クーパーは、キリストとの個人的関係と、罪の赦しの実感を得た。1764年、クーパー33歳の時です。
     クーパーが寄食していたアンウィン牧師一家が、アンウィン牧師の死後、オルニーに移り住むと、彼も共にオルニーへ移り住んだ。奴隷線の船長から回心して牧師になり、有名な「驚くばかりの(Amaging Grace)聖歌229」という賛美歌を作詞したジョン・ニュートン牧師の招きによってであった。この時から、クーパーとニュートン牧師との親しい交際が始まった。そして、1799年、彼らの才能が合わされて、有名な「オルニー賛美歌」が生み出された。この賛美歌集は、福音的賛美歌の分野で、単独の賛美歌集としては、比類なき貢献をした。その349作品のうち、67作品がクーパーのもので、残りはニュートン牧師の作品であった。クーパーはまた、「み神とともなる(O For a Closer Walk)聖歌288」の作者でもある。
     「とうとき泉あり」は元来、「開かれたる平和の泉(Peace for the Fountain Opened)」という題であった。これは、疑いもなく、クーパーの作った賛美歌のうちで、最も愛された賛美歌の一つである。永遠の御国こそは、この賛美が歌われる中、キリストの完全な贖いの力を体験した大群衆が現われるところである。 
     詩の本文は、生き生きとした文彩で、旧約聖書ゼカリヤ書13:1の「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめるひとつの泉が開かれる」という聖句に基づいて作られている。この詩のための曲は、アメリカ民謡から借用したもので、恐らく、19世紀はじめに、キャンプ集会に用いられた典型的なメロディーのひとつであろう。
     クーパーは、その生涯を通じて、周期的にやって来る憂鬱症に悩まされた。そのような時、しばしば、彼は自殺を考えた。彼の残した、意味深い賛美歌の多くが、その期間の後に書かれていることは、興味深い。クーパーは、その最期の日まで、神は、決して彼に背をお向けにならないという信仰を、完全に捨て去ることができなかった。彼は死の床において、その顔を晴々とさせて、「結局、私は、天国から締め出されはしない」と言ったと伝えられる。クーパーには肉体的、情緒的虚弱性があったが、神は、驚くべき文学的才能を与えて、200年以上にわたって、クリスチャンの信仰生活を豊かにしてくださった。