第289号
2023年 11月
・・・ 表紙の写真はイスラエルの樹木 ぶどう ・・・
廣部千恵子氏の許可を得て掲載した聖書の植物のひとつです。
「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶもの
はみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝が
ぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様に
あなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしも
その人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離
れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れ
ます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、
何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのために
それがかなえられます。」(ヨハネ 15:1-7)
私たちは動物では羊にたとえられますが、植物ではぶどうです。イエス・キリ
ストと父なる神と私たちの関係が、ここに語られています。
モーセは彼らを、カナンの地を探りにやったときに、言った。「あちらに上って
行ってネゲブに入り、山地に行って、その地がどんなであるか、・・・その地の
くだものを取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。そこで、
彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を探った。
彼らは上って行ってネゲブに入り、ヘブロンまで行った。・・・彼らはエシュコル
の谷まで来て、そこでぶどうが一ふさついた枝を切り取り、それをふたりが棒でか
ついだ。また、いくらかのざくろやいちじくも切り取った。イスラエル人がそこで
切り取ったぶどうのふさのことから、その場所はエシュコルの谷と呼ばれた。
(民数記 13:17-25)
ざくろ、いちじくを載せたときも同じ箇所を引用しましたが、偵察隊がその地の豊
かさを示すものとしてぶどうをもちかえりました。