同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— ジョン・A・ブローダス -<アメリカの偉大な神学者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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      バプテストの信徒にとって、ジョン・A・ブローダスの生涯は、特に興味深いはずですが、他の人々にとっても、実に興味深いものです。だいぶ前になるが、私は、ブローダスのマタイの福音書注解は、英語で書かれた一巻物の注解書の中で、最も優れた注解書のひとつであると言われていると語った。私は、それを長い間使い、実に役に立ってきた。また、彼の説教の準備と話しぶりとは共に、何年もの間、バプテストやその他の神学校において、説教の標準的な教科書として使われてきた。
     「クリスチャニティ・トゥデイ」紙は、1962年4月13日号で、「ブローダスの説教と教えと文章とは、彼自身が生きている間ばかりでなく、それを遙かに超えて、数え切れない人々の人生に影響を与え、変えるべく定められていた。彼の著した『説教の準備と話し方』という教科書は、‘神学教育の歴史の中で、これほど広範に長い間用いられた説教学に関する書物はほかにはなかった。’・・・あらゆる福音派の団体から、ブーローダスへの講演依頼が殺到した」と書き立てた。

     同じ記事が、南北戦争初期の経験に関して語っている。一人の将軍が、「ブローダスが説教をするという予告を持った急使を送った。そして約5000人の巨大な群衆が集まり、その中にはリー将軍もおり、数百人の人々が新しい信仰を表明したり、祈りを求めて前に進み出た・・・証の機会を求めて、彼は、よく病院でトラクトを配ったりもした。」

     ウィクリフ教会人物辞典(1982年版)は、ブローダスに関して、「一時、ヴァージニア大学でラテン語とギリシャ語の助教授をしていたが、その後、ケンタッキー州ルイスヴィルに設立された南部バプテスト神学校の校長に指名された。」と公正に語り、「教師として、説教者として、学者として最高レベルを極めた。有名な著書を残した。」とも記す。

     彼の説教集を編集したV・L・スタンフィールドは、「19世紀後半のアメリカにおいて、ジョン・A・ブローダスほど、高名で偉大な評判を残したバプテストの説教者はいない・・・1889年に、エール大学において、ライマン・ビーチャー説教学講義賞を受賞した唯一の南部バプテストである。」と評した(1959年)。

     それでは、この注目すべき人物が、いかにしてキリストを体験したのであろうか?その物語は、彼と同様に優れた後継者であり、娘婿であるアーチボルド・T・ロバートソンによって書かれた彼の伝記、「ジョン・アルバート・ブローダスの生涯と書簡」(フィラデルフィア、1901年)の中にある。

     こう書いてある。「その冬は、メジャー・ブローダス(彼の父)が留守で、監督者がいなかったので、まだ、14歳にもならないその少年が、その農場と製材工場やその他諸々の責任を負った・・・彼は、木を割ったり、耕したり、干し草を刈ったり、麦を束ねたり、干し草を集めたり、飼い葉を引いたり、農場に必要なすべてを学んだ。彼は人々とともに、農場を経営することばかりでなく、・・・長い冬の夜や、雨の日には、ラテン語や、読書に励んだ・・・」

     一年後、「ある日、ジョンがトランクを下げて学校から帰ってきた。メジャー・ブローダスは、息子が退学になってしまったのではと思い、説明を求めた。ジョンは、まじめな顔をして、『叔父さん(学校の教師であった)が、僕のためには、もう役に立たなくなったと言ったんだ。』と答えた。彼の父は、それ以上息子から聞き出すことが出来なかったので、シムズ氏に会いに出掛けた。彼は、笑って、ジョンは、私が教えることの出来るすべてを学んでしまったと語った。」

     ついに、生涯を決する日が来た。「彼がまだ学校にいる間に、リバイバル集会がカルペパーにあるマウント・ポニー教会で開かれC・A・ルイス牧師と、B・グリムスリー牧師とが指導していた。ブローダスはこのリバイバルで回心した。罪の覚醒はあるが約束を握ることが出来ない状態でいるときに、一人の友人が、聖書を引用してくれた:『父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは。(ヨハネ6:37)』さらに繰り返して『決して捨てません』と言い、「ジョン。この約束を信じることが出来ないか?」と聞いた。この聖書の言葉でようやく光が射した。」

     親友が後に語ったところによると、「私たちは同じ年齢で・・・我々の父親同士は、ずっと議会の対立候補だった。1843年の春、カルペパーで行われたリバイバル集会で、私たち二人は共に信仰を告白し、同じ日に、教会に入会した;私たちは、ラン山の川に架かった橋のたもとで一緒にバプテスマを受けた。・・・私たちの小さな討論会や、祈祷会に於いて、彼はいつも論理的で明快な発言をし、敬虔な祈りを捧げた。」

     ロバートソンはさらに続けて、「ジョンが回心してから数ヶ月後のある集会において、説教者は、礼拝の最後に、すべてのクリスチャンにまだ信じていない人のところへ行き、話しかけるように促した。ジョンは、心配そうに辺りを見回し、誰か自分の救いについて話すべき人がいるか探した。彼はそのようなことを一度もしたことがなかった。ついに、彼は、あまり賢くない、サンディという人を見つけた。彼は、ともかく、思い切って、彼に話しかけようと思った:そして、サンディは回心した。ジョンは、すぐに、教えるために学校へ出掛けた。学校から帰ってくるといつもサンディが通りの向こうから走ってきて、『やあ。ジョン。ありがとうよ!』と言うようになった。」ブローダス博士は、しばしば、最初に魂を導いたこの話をし、そして、「やがて、私が天国に行って、黄金の通りを歩いていくと、最初に合う人は、きっとジョンだろう。彼はやってくると、『やあ。ジョン。ありがとうよ。』とまた言うだろう。」と付け加えた。

     そして、それは、ブローダスがキリストに導いた唯一の人ではなかった。彼が、自分の説教を、いかに心に触れる勧めで締めくくっているかに注目しよう:

     ひとつの結論:「友よ。あなたのイエス様との関係はどうですか?これは、あらゆる問の中の問です:あなたのイエス様との関係はどうですか?これは、あなたが真実な心で解決すべき問題です・・・友よ。あなたのイエス様との個人的関係はどうなっていますか?これは、あなたが望めば、先送りすることの出来る問題です。しかし、他のすべての日は、その日のために造られたという日に、あなたはその問題に直面するだろう。即ち、救い主の御前にあなたが立って、あなたが裁かれるその日に。友よ。今、キリストに立ち帰り、その日の準備をしなさい。あなたのイエス様との個人的な関係はどうですか?主を今、告白しなさい。」

     もう一つ:「望むものはだれでも、あらゆる誤解を避けるかのように注意深く、望む者はだれでも、ここに招かれている。ここに来るときにのみ、誰でも望む者はつかみ、誰でも望む者は、確かに受けるのです。誰でも望む者は、誰でも望む者は、多くのものがあなたを来させまいと呼ぶが、このみことばの招きに心を留めてください。そして、あなたの心を定め、キリストのもとにきなさい。」