同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 創世記1章  —

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1:1)

 創世記1章を読んで見ましょう。そこに神が天地を創造された経緯が書かれています。
 聖書を読む上で最も大切なことは「書かれている通りに読む」ことです。
聖書を文字通りでない解釈をしたり、書いてないことを付け加えて読んだり書いてあることを削除して、もとの意味を変えて読むことをしてはいけません。
そうする人は自分を神と聖書の上に置いています。
先にウェスレアン・アルミニアン、アルミニウス派、カルヴィン派、ルーテル派の神学の差異を解説しましたが、どの派の人々も聖書を書かれている通りに読もうとしていることは疑いの余地がありません。
それにもかかわらず聖書の述べていることを違って読んでしまうのです。
ですから、私たちは、神の前にへりくだって、神が意図された通りに聖書を読めるように願っている必要があります。

 神が天地を創造されたのは「奇蹟」です。奇蹟は「自然科学」の対象にはなりません。イエス・キリストは病気の癒やし、死人の復活、水の上を歩くなど、多くの奇蹟を行われましたが、それは「奇蹟」であって、「自然科学」の対象にならないのと同様です。

 科学者たちが地球を調べ、宇宙を調べて「創造の原因を究明した」と主張します。彼らは「原因」を究明したのではなく、神が創造された「結果」をほんの少しだけ究明したのです。
科学者たちが究明できたのは「結果」であって「原因ではない」ことを理解していましょう。そうすれば、子どもたちが学校で進化論を聞かされて迷うとき、教えることができます。

 「時間」も神が創造されたものであって、神には1秒も100億年も同様に扱うことがおできになります。ペテロの意図した意味ではないかもしれませんが、「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(ペテロⅡ 3:8)と書かれているように神にとって時間は問題ではありません。神も時間に縛られていると思うので、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。」(創世記 1:31-2:2)と書かれていることを、「文字通り」に読めないのです。
また、1章1節と2節の間に非常に長い年月が経過したと理解する人々もいます。

1.光とやみの創造(3-5節)
2.空と空の水と地上の水の区分(6-8節)
3.陸地と海、陸の植物の創造(9-13節)
4.太陽と月の創造(14-19節)
5.水中の生き物、地上に鳥を創造(20-23)
6.家畜、はうもの、野のけもの(24-25節)
人間の創造(26-30節)

神は系統に従って種を創造されたかも知れませんが中間の種は見つからないようです。