賛美歌物語
— 聖歌604番「のぞみも消えゆくまでに」 —
作詞;Johnson Oatman,Jr.(1856-1922)作曲;Edwin O. Excell (1851-1921)
<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。
この賛美歌は、数ある賛美歌の中でも、最も馴染の深い賛美歌の一つです。
また、多くの人が、教会学校時代に、活気に満ちて最初に歌った賛美歌の一つであり、今なお、ゴスペルタイプの賛美歌の中でも、喜んで歌われる歌の一つです。
ジョンソン・オートマン,Jr.師は、19世紀後半から20世紀前半にかけて非常にたくさんのゴスペルソングを生みだした重要な賛美歌作者です。彼は、1856年4月21日、ニュージャージーのメッドフォードの近くに生まれた。 幼い頃より、彼は、父の歌う才能を通して、教会の賛美歌を熟知するようになった。19歳のとき、オートマンはメソジスト教会へ加わり、数年後、地域のメソジスト教会の会衆に説教する資格を得た。
オートマンは、5000以上の賛美歌詞を書いたが、その生涯にわたって、忙しい商業ビジネスに携わり、後には、ニュージャージーにある大きな保険会社の管理者としなった。ジョンソン・オートマンの作詞した有名な賛美歌には、
「めぐみの高きね(聖歌589番)」
「あまつくにをさして(聖歌491番)」
などがある。
「のぞみも消えゆくまでに」は、一般に、オートマンの傑作と考えられている。これが最初に紹介されたのは、1897年に、エドウィン・O.エクセルによって編集出版された「若者の歌」の中であった。この賛美歌は、世界中で歌われてきた。ある作家は、「太陽の光線のように、この歌は、地上の暗い場所を明るくしてきた」と語った。
かつて、アメリカの賛美歌で、この賛美歌のように、英国において、熱烈な歓迎を受けた賛美歌はなかったであろう。ロンドン・デイリー紙は、ジプシー・スミスによって司会された集会の模様を、「スミス氏は、『のぞみも消えゆくまでにを歌います』と告げ、『南ロンドンでは、これを歌うと、少年たちが口笛で歌いはじめ、女達は、それにあわせて赤ん坊をあやして寝かせるのです』と語った。」と伝えた。ウェールズに大きなリバイバルが起きた時、この賛美歌は、ウェールズの人々の好む
「あらのをたびする(聖歌244番)」
「なやみおおきうき世を(聖歌639番)」
などとともに、あらゆる集会で歌われた賛美歌の一つであった。
この賛美歌の作曲者であるE.O.エクセルは、初期の賛美歌作家の中では、有名な人です。彼は、1851年12月13日に、オハイオ州スターク・カウンティにおいて生まれた。
20歳の時、彼は声楽の教師となり、声楽の学校を設立するため、国中を旅行した。彼は、20年にわたって、南部でよく知られたリバイバリストであるサム・ジョーンズともに働いた。エクセルは、その当時、最も優れた賛美歌指導者のひとりとして認められていた。200以上の賛美歌を作詞作曲し、50もの賛美歌集を出版したばかりか、彼は、シカゴにおいて、成功した音楽出版業を営んだ。1921年、ケンタッキー州ルイズヴィルにおいて開かれたジプシー・スミスの大伝道集会に参加中、彼は、突然倒れ、永遠のコーラスに迎えられ天国に召された。70歳であった。
"人生に、嵐が吹き荒れる時、すべてが失われたと思い、落胆する時、あなたにある多くの恵みを一つ一つ数えて見よ。そうしたら、主のなしてくださったことに、驚かされるだろう。あなたの恵みを一つ一つ数えて見よ。あなたの恵みを数えて主のなしてくださった事に目を留めよ。"