同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 新しい地で主に仕える —

岩本 献一


「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」 (詩篇62:5)

 昨年の5月よりこの教会の会員として迎え入れて頂き、皆様と共に神と教会に使える事が出来ている事を心より感謝致します。
日々新鮮な体験をさせて頂いており、公私ともに忙しくも楽しい日々を過ごしております。

 何事にも積極的なこの教会の中で、私自身も仕事や転会前の教会で得た経験を活かし、出来る範囲で奉仕にあたらせて頂いております。これは早期に教会にコミット(積極的な関わりを持つこと)するために、早くから色々と任せて頂いているのだと感じております。

 この教会に転会する事が決まったあと、山本嘉納先生と盡子先生の間で、転会後に何をしてもらおうかといった会話があったそうです。盡子先生は慎重に1年くらいは慣れるまで様子を見て、その後自主的に動いてもらうのが良いのでは、という考えだったようなのですが、嘉納先生は既に前の教会の中心で働いていたのだから最初から色々やってもらえば良いのでは。という考えだったようです。結果、どちらの意見が通ったかは教会員の皆様のよく知るところかと思われます。
 これは以前の教会にいたころより「この奉仕がしたい」と言った希望がなく、求められるままに対応していた私にとっては、適切な采配だったと考えております。

 今年の讃美感謝会の証でもお話しした、神に生命を救われた経験から、私は「神が私を生かした理由が何かあるんだろう。」と思って生きてきました。もちろん私の希望、欲に気を取られる事も多々あり、全て神の計画どおりに歩んできた等と胸を張って言えるようなものではありません。それでもそんな私がこうして歩んでいるのは神が私に対して望みを持っており、私を用いて事を成そうとしている事が紛れもない事実だからだと思っています。

 神は私に色々な賜物を与えてくださいました。この賜物をどう使うかについて、神が私よりも遥かに適任なのは考えるまでもない事だと思っています。 教会の皆様には何度もお話しているところではありますが、今回この教会に導かれたのも神の御計画によるものだと確信しています。
 今年も、神の望みに期待しながら歩んでいくものとされたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会会員)