同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(37) —

野澤 睦雄


「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。 私は山々の根元まで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。 むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」」(ヨナ書 2:1-9)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <祈り>
   - 祈りの実例 -
 祈りの実例として今回ヨナの祈りを考えてみましょう。
イエスはヨナを自分の徴であるとしました。
「そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ 12:38-40)
ヨナは神と親しく語り合える間柄でしたが、祈ったと書かれているのは、大魚の腹の中にいるときからです。ヨナは自分の苦しい状況と、もう一度あなたの聖なる宮を見たいと神に告げていますが、ご命令に背きました、とは言っていません。そして神が祈りに応えて下さることを確信しています。
 「主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。」(2:10)は興味深いことです。イエスがガリラヤ湖で、風と波に命令をされましたが、ここでは魚に命令されました。「・・イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。」(ルカ 8:24)
 神とヨナのやりとりに、ヨナ書は最後まで興味が尽きません

(仙台聖泉キリスト教会員)