同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

- 気付き -

山田 保

  「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)  

 2023年は、1月に伝道師である祖母が、そして9月にも信仰者として先を歩まれた一人の姉妹が、それぞれ天に召されたこと、また5月には私の姉が結婚を与えられたこと等、本当に大きな出来事が連なった年であると感じています。そして12月には教会に新しい魂が誕生し、その魂とともに2024年の歩み出しが出来ますことをとても嬉しく思います。
私自身のこの年の大きな出来事としては、4月に転職をしたことが挙げられます。先生方、兄弟方の力強い支えにより、このことも無事に乗り越えられましたことを感謝しております。
2023年の山本嘉納先生の礼拝説教は、一年を通し「主は我が礎」という題でメッセージが語られました。その中に、姦淫の罪で石打ちにされようとしていた女についての話がありました。イエス・キリストの一言によってその石打ちは行われませんでしたが、キリストは決して姦淫という罪を許された訳ではなく、主御自身の贖いの御業によってその女を罪から解放されたということを学びました。冒頭で転職をしたと書かせていただきましたが、その転職先で何も悩みなく働いている訳ではありません。私に対してとても厳しく接してくる一人の先輩社員がいます。私自身の仕事のミスに対する指摘はもちろん、ちょっとした非効率的な動きに対しても、何故そんなことをするのかと執拗に問いただしてきます。私は、初めは素直に受け入れて気を付けていましたが、段々とその先輩を避けるようになって行き、気付けば別の先輩にそれらの愚痴をこぼしている自分がいました。私の弱さが出ていたのです。しかし、そんな日々を過ごしていく中、私は礼拝説教を通してあることに気付かされました。それは私が「自分が弱さを抱えているということ」すら気付けていないということでした。人々が自分の正義に酔いしれて女を石打ちにしようとした時、あのキリストの一言がなければ彼らは自分の罪を一切吟味せず、石を普通に投げていたでしょう。そして、私もその一人でした。先輩の言うことよりも自分の気持ちを優先してしまっている自分がいることをとても残念に思いました。そのことに気付かされた私は、改めて先輩方と向き合い、仕事への姿勢も変化しており、それによって仕事も順調に進むようになって来ています。
私は「気付く」ということに疎い人間です。しかしそれは、これからの自分の人生のため、特に今後福音の働きに関わらせていただいていくためには是正されなければならないところであると感じます。
2024年、教会はいよいよ福音の働きに力を入れて進んで行くでしょう。一人でも多く救われる魂が与えられることを願います。そして私自身も今年得たことが単なる「気付き」で終わるのでなく、それを行動に移していくことによって成長が与えられ、それが福音の結実に繋がると信じて歩ませていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)