同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

主なる神から託されて

石井 和幸

「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。 」
(テサロニケII 1:11〜12)

 先日、テレビで映画を観ました。貧しいながらも愛情を注いで、手塩にかけて子供を育てる里親に対し、愛人との子として、一度捨てたにもかかわらず子供が優秀なことに目をつけ、里親に『アンタには無理だ。優秀な人材には整った環境、必要な学歴、それを支える経済が必要なんだ』と言って、実の父親が子供を引き取ろうとするシーンがありました。里親は、『お金よりも大切なものがある』といって反発し、何とか必死に生活を立て上げようとする。そんな姿が描かれていました。 『アンタに子育ては無理だ』 もし私に向かって誰かがそう言ったら・・・と、ふと考えました。
主なる神は、『アンタには無理だ』と言われる神ではありません。もっとも、自分からその責任を投げ出したり、親として相応しくない生き方を続ける場合は別ですが、むしろ神は私達に一人の生命・人格・魂を託されるのです。

 11月最初の日曜日、教会で、私達夫婦に与えられた娘に『献児式』をしていただきました。
産後初めて出席する礼拝にて、神から授かった子供を神にお返しし、牧師先生に祈っていただいて、豊かな祝福と共に今度は神から『託される』のです。 ・・・ですから、親である私達の思うがままに子供を育てるのではなく、神の真理に子供が間違いなく歩むように、親は取り組まなければなりません。娘は、父親である私によく似ていて、母親にも似ています。 外見からも『間違いなく自分達の子供』であり、神から託されたことは事実であり、真実です。ちなみに娘の名前は真実(まみ)です。・・・今はコンビニの夜勤みたいに、昼間よく寝て夜中元気で、という時がしばしばですが(笑)、自らも同じところを通ったこと、神から託された子供であること、そして神の義に生きる中で与えられる恵みは豊かであることを覚えながら、祈りつつ歩んでいきたく思っています。

 もうすぐクリスマスです。父なる神がひとり子イエス・キリストを私達に賜ったこと、そしてヨセフとマリヤという若い夫婦に託された事実を覚えつつ。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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