同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 主を求めて —

茂永 和子

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇 103:1-2)

 この年は私の母教会であるイエス福音教団宮城教会の大原俊夫牧師の召天がありました。田舎の町での開拓伝道、ご苦労の多い中にあって一途にイエスさまの十字架の福音を宣べ伝えた働きを通して、私も救いに導かれましたことを心から感謝いたします。
 早くもそれから26年が経ちますが、先日、夜におじゃまする機会があった時、田園風景の中に光に照らされ浮かび上がる教会の十字架を見上げながら、今も変わらずに立ち続けていることは主の御業であることを思い感動を覚えたことであります。神様の一方的な憐れみによって救っていただき、このところまで来ることが出来ましたことを感謝いたします。
 この一年間を振り返ると私たちの家庭におきましては娘の小学校入学や主人の転職ということがありました。多くの課題の中に信仰が試みられる時でもありました。自らの傾向性や起きてくる問題にどのように取り組み対処していかなければならないのかという時、聖日ごとにご講壇から語られるメッセージ、集会や交わりを通して語ってくださる声を捉えながら、そこに聞き従っていかなければ道は開かれないことを思わされています。
 10月の伝道会で婦人伝道師の先生がお話をして下さいました。若い時に救われ献身に導かれて長くその歩みをされてきた中で、一つ一つ神様の前に祈り、みことばによって示され、事を成してきたことが語られていました。そして私たちにも大切なところを、みことばに示され従って行って下さいとお薦めがありました。これまでの足跡をきちんと覚え、証しされている姿に、私もその年齢になった時、振り返って主の業を語ることのできる者でありたいと思わされました。尚、主を求めながら歩ませていただきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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