同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 主のお取り扱い —

山田 行

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇 103:2)

 今年も残りわずかになりました。日々の生活はあわただしく、時間に追われ、やらなくてはいけないことがどんどん増えていきます。必死になってそれをこなし、あっという間に月日は流れていきます。
しかし、上記に記した聖書のみ言葉は、「流されてはいけない、忘れてはいけない」と私に語りかけてくださりもう一度神の前にひざまずいて祈る時を与えられています。
 「主の良くしてくださったこと」とは神が私に恵みを与えてくださったことばかり考えますが、普通言われる「恵み」とは違って「人が扱われる」という意味もあることを知りました。
 自分の力ではどうすることも出来ないこと、それは病であったり思いもよらない試練であったり、ただ神の前にひれ伏して祈ること、ひたすら神を待ち望むことしかできない又自らが本当に無力であることを思い知らされるときに神からのお取り扱いが私にありました。その涙の期間を通ることによって、教えられたこと、多くの御言葉、先生方の言葉や指導、一つ一つが自分にとって必要であったということです。そしてそこで恵みの時とは違う神に出逢うことが私の信仰生活にとても大切であるということを知りました。そこを神と共にどう生きるかによって「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」と心の底から感謝が溢れるのだと思います。病や試練、戦いなど、厳しくて震え上がりますが、神はそこに希望と平安を与えてくださいます。そしてまた立ち上がる勇気と力を下さり一歩踏み出せるのです。
 そして、この大切な神のお取り扱いに自分がどう答えていくのか、軌道修正が必要ならばどのように変えていくのか、きちんとお約束を頂いてまた歩んでいきたいと願います。「何一つ忘れるな。」忘れっぽい自分なので、忘れないように持ち続けて行きたいと思います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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