同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— デイビッド・リビングストン <探検家である宣教師> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/kidakei/
にアクセスすると元の文を読むことができます。>


 デイビッド・リビングストンの名前は、あまりにも有名で、改めて紹介する必要がないほどです。彼は、宗教界(信仰の異なる人々をもふくむ)からも世の人々からも、彼の時代ばかりでなく、現代に至るまで、言うに言われぬ苦しみをなめている人々の医者・治療者として、探検家・地理学者として、生物学や博物学の標本の分類者として、偉大な宣教師として、奴隷商人の永遠の敵である博愛主義者として、交戦中の部族間の外交官・調停者として、あるいは、知識人への著述家・講演者として、喝采をもって迎えられて来たが、結局のところ、彼は、ひとりのまじめで謙遜なキリスト信者であった。
 ロンドンを訪れた時、私たちのガイドは、ウェストミンスター墓地へ私たちを案内し、偉大で有名な人々の墓を指し示してくれた。─栄えある大英帝国において、最も尊敬される人々の墓を。ここには、13人の王と、5人の女王(エリザベスⅠ世を含む)が葬られている;その向こうには、ウィリアム・ピットや、グラッドストーンのような偉大な政治家達が葬られている;あちらには、チョーサーをはじめ、スペンサー、ドライデン、そして、ブラウニング、テニスンらにいたる詩人たちが…。ガイドの説明が終わり、私たちが、出口へと案内される途中で、私は振り返って言った。「ちょっと待ってくれ;私は、デイビッド・リビングストンの墓を見たい。」
 世界的に有名な人々が葬られている限られた敷地の中に、彼を葬る余地があったのだろうか?事実、彼は、そこに葬られたのです。彼の亡骸は、アフリカから運び移されたけれども、彼の心は、アフリカの人々の心の中にしっかりと残された。孤独の中、体が弱っていき、ベッドでひざまずいて祈る姿勢のまま死んでいる姿が発見された時、世界中の人々が、彼が神の御側近くを歩んだことを知った。何という証であろうか。
 少年時代、ディビッドは、敬虔な家庭で育まれるというこの上もない祝福を得た。また、忠実な教会学校の教師にも恵まれた。9歳の時、彼は、二晩連続で、詩篇119篇(176節もある!)を、わずか5つ間違っただけで暗唱したので、日曜学校の先生から、新約聖書をもらったと記録されている。しかし、彼の新生は、それほど容易には訪れなかった。
彼の好みは、清教徒である彼の父と鋭い対立をもたらした。彼自身は、旅行や科学に関する読み物が好きであったので、彼の父が無理矢理彼の注意を向けようとした教理的に堅実なカルビン主義の書物には、強い反発を感じていた。
 彼の実際的な回心については、リビングストンの伝記作者として有名なW・G・ブレイキーが、リビングストン自身のことばを引用して、記録に留めている。「私の両親は、私にキリスト教の教理を教えこむために、非常に努力したので、私は、私たちの救い主の贖いによって、無代価で救われるという理論をたやすく理解することが出来た;しかし、私が、私自身に、その贖いの福音を適用する必要や価値を感じ始めたのが、大体その時期であったというだけであった。」彼が、ロンドン宣教師協会に宣教師として応募した時に、協会から送られて来た質問状に答えて、協会の理事長宛に提出された文書の中のこの短い説明が、わずかな光を投げかけている。彼は、およそ12歳の頃に、罪人としての自分の姿を反省し始めた。そして、しきりに、真理を心の中に受け入れることによって生まれて来る心の状態を求めるようになった。しかし、彼は、このように偉大な恵みを受ける資格が自分にはないという感覚から、福音に記された無代価の恵を拒絶した。…なお、彼の心は定まらなかった;他のなにものによっても満たされることのない、抑えがたい飢えが残った。
 「この様な状況の中で、彼は、未来に関するディックの哲学に夢中になった。その本は、彼の誤りを糾し、真理を示した。「私は、キリストによる救いを直ちに受け入れるべき義務と、測りがたい特権とを悟った。計り知れない憐れみと恵みとによって、そのことを信じた時、キリストの救いを直ちに受け入れることが出来た。そして、なお腐敗し、欺きに満ちた私の心に、ある程度、その効果を感じた。私のために死んでくださった方に対する愛着を示すために、私の人生をキリストの奉仕へとささげたいというのが私の願いです。」
 「ディビッド・リビングストンの心の奥底に、新しいいのちが満ち溢れて、今やそれが溢れ流れ出したことは疑う余地が無い。彼が、真理を理解しただけではなく、真理が彼を捉えたのであった。神の祝福が彼のうちに流れ込んできて、あらゆる地上の欲望や願いを征服した。その血によって彼を贖ってくださったお方に対する限りない愛へと彼をかりたてる神の恵みの豊かさについて、また、そのあわれみゆえゆえにキリストに対して大きな負債を負っているという感覚―それ以来ずっと彼の行動に影響を及ぼし続けた感覚―について、彼が本の中で語っていることは、彼にとって最も重要なことであった。彼は、公の文書を書くに際して、すべての霊的感動を抑制する習慣があったので、それらがどんなに現実的なものであったとしても、このような表現を使うことはなかったのであろう。それは、彼の人生の秘密を明かしてくれる。」(ブレイキー29,30ページ)
 実際に、自分自身で回心を体験して、リビングストンは、真実な回心の体験が、何よりも重要であるという強い確信を持った。彼自身こう言っている。「どんな誘いがあっても、私は不純な教会を形成したくない。50人が教会に加えられたと言えば、本国には聞こえが良いが、もしその中の5人だけが本物であったなら、大いなる日に、それは何の益があろう。私は以前にもまして、私たちの努力の大いなる目標は、回心であるべきだと感じている。」(ブレイキー103ページよりの引用)
 彼の伝記作者は言う。「彼は、キリストの教会の霊的権威と、クリスチャンの品性の唯一にして真の土台としての深い霊的変化の必要に関する強い意見を持っていた。」また、「回心なき文明人は、(宣教師たちの)労苦にほんのわずかしか報いない人々である」と主張したとブレイキーは記している。(ブレイキー40、97ページ)
 これらは、今日、もっと熟慮され、もっと心に留められるべき信念です。