同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 家庭の霊的成長 ~

森田 忍勝

「教会はキリストの体であり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ 1:23)

 2020年も終わり新たな年が始まりました。昨年はコロナウィルスの影響で 生活自体も制限を強いられる中で神の守りと導きの中で信仰生活を営み続ける事を感謝いたします。私自身冬の時期になると喉が痛くなり体調を崩しやすいのですが例年以上に体調管理に気を遣う事が日常となっている事で体調も崩すことなく守られていることも感謝であります。
 昨年を振り返りますと娘も二歳となり家庭と教会の中で育まれていることを娘の成長ぶりを見る時に感じます。特に感ずる事は娘の中にも霊的成長が与えられていることです。私は礼拝や諸集会の際、娘と席を守っております。
 木曜日の祈祷会において山本嘉納先生のお話されている事はまだ理解できてはいませんが祈祷会が進む中で先生が祈りへと移ろうとすると娘はお絵かきを中断して私の膝元へときて祈りの姿勢を取ります。祈りの最後にはアーメンと言い私との祈りを終えるとまたお絵かきに戻っていきますが、この姿を私は大変感謝に思えます。最初の頃は夫婦で娘に教えている段階から今は、娘が私達夫婦の営みを見てそれを自らが行っている姿を垣間見れます。
霊的成長は日々の営みを続けている中でその一瞬を見る時背後には常に神の御手が働かれている事、そのように思わされます。
 昨年のメッセージの中でも強く語られていた「変革」、私の家庭にも確かに変革は神によってもたらされたと感じます。夫婦としては昨年はそれぞれにある弱さや傾向性を理解することが求められました。妻とは多く話し合い今までぶつかって考えを共有しないでいた所から、本来夫婦の関係は何であるのか、私も考え先生に相談させていただきながらこの1年間を過ごさせていただきました。
 その中で大事だと示されたことは妻を通して神が働かれている事、妻の訴えにしっかりと寄り添うことでありました。日常で言えば家庭内の働きの助けとなることであります。私にとって苦手な働きであったり、仕事の忙しさからの気持ちを律すること、毎日気持ちの波がある中でそこに自らを置き続けることで見えてくる神のお扱いに何よりも喜びをもって自らを仕える者として生活を送ることが何よりも幸いであることを礼拝のメッセージを通して教えていただきました。教えに従うものと同時に自らの信仰を積極的にその働きに用いていきたいと思います。
 2021年もこの小さな家庭が神と人とに仕える家庭でありたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)