同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 教会学校幼稚科のこどもたちを見て —

山田 保

「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」(マルコ 10:13-16)

 初めて「同労者」の原稿依頼をいただき、今までの教会生活を振り返ってみた時に、ここまで神と愛する兄弟姉妹と共に歩む事が出来、また守り導かれました事に深い感謝を覚えます。山本嘉納先生をはじめ、教会の皆様との関わりは私にとってかけがえのないものであり、生まれた時から教会に加えていただいている私にとって仙台教会は第二の家のように慣れ親しんだ場所として体に染み渡っています。
教会での営みは、礼拝をはじめ、コンサートを通しての伝道会、スポーツを通しての交わり、野外でバーベキューをしての交わりなど豊富にあり、心から楽しんでそれらの行事に参加していました。
 その中でも、子どもたちとの関わりは私にとって特別なものであったと感じています。
教会学校幼稚科の先生をさせていただいて今年で2年目でありましたが、子どもたちの日々成長していく感性や思考にどう対応すれば良いか未だに悩む事があります。それに加え、今年の2月には新しい魂が加わり、その関わりにも精一杯取り組ませていただいています。
その新しく加わった子は、初めはどんな事にも驚いているような表情を見せ、固まったり、泣いたりしていましたが、徐々に慣れてきたのか、笑顔を見せ、活発に動いたりする姿がみられるようになりました。そんなことを嬉しく思っているうちに、最近は私の想定を超えた動きをするようになり、成長の速さに驚かされています。
一番年長の子は少しクルクルの髪の毛が可愛らしく、表情も豊かで、よく喋り、お菓子の時間をとても楽しみにしています。2番目の子は比較的落ち着いている様子ですが、何にでも関心を示し、油断すると私の携帯電話や、誰かのキラキラしたアクセサリー等を取ろうとしてきます。しかし、物分りも大変よく、「返して」というとすぐに「うん」と言って返してくれます。
そんな3人と今年1年間朝の教会学校を共に過ごし、ここまで守られました事を感謝しています。12月にはクリスマス祝会があり、それに向けての劇の練習も大変頑張りました。年長の子は練習を重ねていくにつれ、段々と声が大きくなり、上手になりました。
2番目の子は少し恥ずかしがりましたが、精一杯初めての劇に向け、練習に取り組んでいました。
3番目の子は特に泣くこともなく、明るく楽しそうにその劇の練習に加わりました。本番当日、練習通りに、ということは難しく、緊張のせいか上手に言葉が出せない部分もありました。しかし、最後までやり切り、元気よく賛美をもって終わる事が出来ました。
 私自身にはまだ自分の子どもがいる訳ではありませんが、愛する兄弟姉妹に新しい魂が与えられると自分の事のように嬉しく思います。精一杯福音の働きを為していく中、新しく教会に加わる人がなかなか与えられず、反対に教会から離れて行ってしまう人を何人も見てきました。そんな中、子どもたちの笑顔を見ると、エネルギーと平安が感じられます。そして明るい未来が感じられます。私の生きる意味の一つはここにあるのだと感じられます。イエス・キリストが純粋な子どもたちを特に愛された理由が少し分かったように感じられます。これから先も、子どもたちとの関わりを大切にし、自分が受けてきた愛、これからも先ずっと受け続けていくであろう愛を決して手放さず、そしてこれからの信仰の継承者にその愛を、生涯を懸けて与えていこうと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)