同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

—義母の信仰~part2 —

玉城 春恵

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ 5:22)  

 同労者5月号にて、義母の救いについてのインタビュー記事を載せさせて頂きました。今回は義父との結婚の導きについて書かせて頂きます。
 1973年、新しい年が迎えられ、年頭の御言葉と祈りの課題を提出する時に、「ふさわしい伴侶者が与えられること」を祈りの課題の1つとして、提出したそうです。
その時、義母はメガネケース店で働いていました。工場の作業台にはビニールケースを造る作業のために、至る所に裁ちばさみが置いてありました。ある時、一人の障害者の女性が義母に対して、裁ちばさみの刃を向けて振り回し、工場中を逃げ回るという出来事がありました。なんとか事が落ち着いて、その日一日の仕事は無事終えられましたが、気持ちが落ち着かなった義母は、教会に向かい、婦人伝道師に相談に行きました。このような出来事があったから仕事をやめたいことを話した時、義母は逆に婦人伝道師から叱られたそうです。
 「実は、仙台に結婚の相手としてあなたにふさわしい人がいるけれども、そういうことで仕事をやめたいと言うならば、結婚をお世話することはできません。結婚したらいいことばかりではありません。むしろ、裁ちばさみを向けた人に感謝しなさい。なぜかというと、それがあなたにとっての一つの訓練ですから。あなたはそこにい続けなさい。結婚したら、嫌なことがあったからといって、やめたと言って帰ることはできませんよ。もう一度考え直して下さい。」と助言を受けたそうです。
 その時、義母ははっと気付かされ、悔い改めてもう一度職場に留まったそうです。その出来事があった数日後に、山本光明牧師御夫妻が東京にいらして、義父との結婚のお話があり、その後、松島にて、義父と対面し、婚約式・結婚式の日取りを決め、結婚への準備が始められていきました。
婚約式の聖書交換の時に、義母の聖書に書かれていたのが、冒頭の御言葉です。
 婚約式を終えた後、毎月1回、仙台の礼拝に出席するように勧められ、前日の土曜日に仙台に来て、教会に泊まり、日曜日の教会学校・礼拝と夜の伝道集会に出席し、また空いた時間に入院していた義理の父のお見舞いにいくこともあり、翌日の月曜日に東京に帰っていたそうです。
このようにして婚約期間を過ごし、1973年10月10日に義父と結婚いたしました。

 ここまでの記事は、今年の4月に、同労者の原稿を書くにあたって、義母との対話を録音したものから書かせて頂きました。結婚生活を振り返る時、義理の両親への対応であったり、義母自身が抱える糖尿病という病との闘いであったり、苦労が絶えなかったですが、何かあれば、教会の先生方に相談し助言を求め、聞き従ってきたからこそ、いつも行くべき道が導かれてきたことを感謝しておりました。
 また、「私は、先生方に恵まれてきたの。」と語る義母の表情は穏やかで、山本岩次郎牧師、光明牧師、嘉納牧師、咲牧師と四代続く牧師先生方のメッセージを聞き続けることができたのは、神からの大いなる恵みでありました。

 2023年9月18日、義母は天に召されました。76年の生涯でした。真実な神は愛をもって義母の生涯を最善に導いてくださいました。天に召される4日前の祈祷会でも、かわらず祈りの器として用いてくださいました。どんな中にあっても、教会の働きのため、隣人のために祈り続けてきました。残された私達は、義母が残していった信仰の証を次の世代へと繋げていけるように、尚祈りながら、これからも教会と共に歩ませて頂きたく願います。
 義母は、最後まで、教会の先生方はじめ、多くの兄弟姉妹方の祈りと励まし、交わりに支えられ、信仰を全うすることができました。心より感謝いたします。

 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」 (ヘブル 11:13-16)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)