同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(34) —

野澤 睦雄


「イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、四十歳であった。 イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。 ・・・・出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。」(創世記 25:20-21,24-26)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <祈り>
 新生のいのちの機能によって「祈ることができる」ようになることを取りあげ、まず祈りの実例を検討しています。

   - 祈りの実例 -
 先に取りあげたのはアブラハムで、彼は住む土地を移動するたびに祭壇を築き祈りました。彼が祈ったと5回書かれています。(創世記12:8,13:4,20:7,21:33)。
 今回は冒頭に引用したみことばのイサクの祈りです。
 アブラハムの子孫は、イサクから出るはずでした。それにもかかわらず、イサクの妻リベカは「不妊の女であった」とあり、子どもができないのでした。そのため「イサクは自分の妻のために主に祈願した。」のでしたが、神が祈りに応えられたのは20年後でした。20年間必死の祈りを続けたことでしょう。
「主は彼の祈りに答えられた。」のでした。
 神はご自身のみ心を実現する前に預言者にそれを知らされますが、もうひとつ「祈る」ことを求められます。 

 預言者エリヤの例はこうです。
ずっと後、イスラエルが2王国に分裂し、アハブが北王国イスラエルの王であったと時、預言者エリヤが働きをしました。
「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」(ヤコブ 5:17-18)
「それから、かなりたって、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。」(列王記 18:1-2)「それから」は、「エリヤが雨が降らないと宣言してから」です。
その後、カルメル山でバアルの預言者たちと祈りによって「祭壇に天から火を降らせて生け贄を焼き尽くし」対決をし、バアルの預言者を滅ぼしました。
それから雨のために祈りました。
「エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。」(列王記 18:42-45)
「七たびくり返しなさい。」とありますが、1回毎にエリヤは十分時間を掛けて祈り、もう祈りに応えていただけるだろうと思って、若い者に見に行かせたことが7回繰り返されたのです。それでヤコブが解説している、「再び祈ると、天は雨を降らせ」が実現したのです。

 神のみ心は人の祈りによって実現します。
しかもその祈りには、長い期間執拗に祈ることを求められることがあるということです。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」 (歴代誌Ⅱ 16:9)
神のみ心と心がひとつであるひとは、神のみこころの実現のために、忍耐深く祈り続けることでしょう。

 救われて新生のいのちに与ったひとは、それができるひとになる門口に立っていると言えます。祈りも訓練を必要とします。今、不十分であっても、祈りの経験を積むなら、神のみ心の実現に加わることができる人になれるでしょう。

(仙台聖泉キリスト教会員)