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キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— エシュルン —


「エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。あなたはむさぼり食って、肥え太った。自分を造った神を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。 彼らは異なる神々で、主のねたみを引き起こし、忌みきらうべきことで、主の怒りを燃えさせた。 神ではない悪霊どもに、彼らはいけにえをささげた。それらは彼らの知らなかった神々、近ごろ出てきた新しい神々、先祖が恐れもしなかった神々だ。 あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった。」(申命記 32:1-18)
「民のかしらたちが、イスラエルの部族とともに集まったとき、主はエシュルンで王となられた。」(申命記 33:5)
「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。 昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じた。 こうして、イスラエルは安らかに住まい、ヤコブの泉は、穀物と新しいぶどう酒の地をひとりで占める。天もまた、露をしたたらす。 しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」(申命記 33:26-29)
「あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。・・」」 (イザヤ書 44:2)

 聖書の中に、回数は少ないですが、「エシュルン」ということばがでてきます。申命記に3回、イザヤ書に1回です。イザヤ書のことばで、エシュルンはヤコブ、つまりイスラエルをそう呼んでいることが分かります。
 ただし、その意味は聖書学者に教えて貰う必要があります。
 笹尾鉄三郎がその著書「旧約聖書講義」にこう解説しています。
「エシュルンとは愛を表す語で「正直」叉は「完全」を意味している。」

 申命記32章は、モーセのイスラエルのこれからのことに関する予言と戒めで、「モーセはヌンの子ホセアといっしょに行って、この歌のすべてのことばを、民に聞こえるように唱えた。」33章は「神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。」
神はエシュルンの「住む家、下には永遠の腕がある」幸いが語られています。

 イザヤ書でも神はイスラエルへの愛を語っています。それは、今の私たちに対するものです。