JSF&OBの部屋
~ 神と人とに愛される素敵な大人になれるよう ~
齊藤 恵一
主人公のアンは幼くして両親が死に孤児として施設で過ごしますが、厳しい戒律や虐待を受ける中にいました。そんな時農場を経営する二人の年配の兄妹が働き手として男の子がほしいということで施設に要望を出しました。しかし、いざ施設の人が送って来たのは女の子のアンでした。施設では見合った男の子がいないという事でアンを送ってきたのですが、非力でおしゃべりで妄想癖があり、赤毛という外見的特徴を持つアンを二人の兄妹は最初受け入れられませんでした。しかし素直に意見を言ったり、島のありきたりな自然に感動したり、他者からの様々ある言動に傷付き怒り泣きそれでも自分を逸脱させずに生きるアンの姿に二人の兄妹は同情し、また魅かれて行きました。ついには行き違いにより手放すはずであったアンを、家族として改めて迎え入れるほどに二人の兄妹や周りの人々がアンを通して変えられいくというようなヒューマンドラマ映画になっています。
特に気になった部分というのが、アンの見ている世界と二人の兄妹が見ている世界が微妙に違うという所でした。二人は一般的な視点で現在車が走っている道が赤かろうが黒かろうが運行できればそれで良いという機能面に従って物事を考えますが、アンは赤い道が珍しいという事で、なぜ道が赤いのかを訪ねます。それが後で鉄分を多く含んだ地面だからという事がわかりますが、アンにとってはそのことが珍しく、そういう興味が行動に結びつくので失敗をしたり、周りに迷惑をかけてしまいます。これは純粋な興味だと思います。道が赤い理由を知って、そうならこの重機を使ってこの赤が濃くなっているところを掘れば温泉が湧き出てお小遣い稼ぎできるよ。のような裏の意図がない子供の純粋な興味・妄想を作中色々とみることができ、親としても学ばせられることがあるなと思いました。
それはどういうことかといいますと、子どもたちも自分の興味のあることに夢中で遊んだり、話したりしています。これが彼らにとっては情熱に変わったり、探求心に変わったりして積極的に物事に取り組むための素地を作ってあげる事ができるのではないかと思いました。
しかし対する親はなかなか聞いてあげる事ができず、仕事や家事で揉まれ休みたいときには休みたいし、好きな事をしたいときには好きな事をしたいわけですが、子どもも自分が今日こういうことがあったんだと声高らかに言って親に褒めてもらいたいわけですね。そうやってきちんと聞いているか。重い腰を動かして自分の為に遊んでくれているか。日々親の愛を確かめていると思います。 その要求に親である私たちが答えて行き、この子供たちが神と人とに愛される素敵な大人になれるよう、私も老体に鞭打って頑張って行きます!!
(仙台聖泉キリスト教会 会員)