同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書の植物

— 畑の植物から —

 写真と斜体の解説文は、廣部千恵子氏のホームページ「聖書の植物」から同氏の許可により掲載。
 詳細は同氏のホームページ

http://www2.seisen-u.ac.jp/~hirobe/2002march2.htm

又は「新聖書植物図鑑」(廣部千恵子著、横山匡写真、教文館発行)をご覧下さい。

そら豆
Vicia faba
マメ科ソラマメ属  
pol bean, broad bean, horse bean



ダビデがマハナイムに着くと、ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライとが、寝具、たらい、陶器、小麦、大麦、麦粉,炒り麦、豆、レンズ豆、炒り麦、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを食糧としてダビデと彼の率いる兵に差し出した。兵士が荒れ野で飢え、疲れ、渇いているにちがいないと思ったからである。(サムエル下17:27—29)

あなたは小麦、大麦、そら豆、ひら豆、きび、裸麦を取って、一つの器に入れ、パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数、つまり三百九十日間、それを食べなさい。(エゼキエル4:9)

 サムエルの豆と訳されているものとエゼキエルのそら豆が聖書時代から聖地で栽培されいたソラマメで、ともにヘブライ語聖書にはpol(lAP)となっている。そしてエジプトでも聖書時代以前から既に栽培されていた。聖地では1m近くにもなり、さやには3〜6個の種が出来る。これが食用になる。そのまま茹でても、ピューレー状にしても、乾燥させても食べるが、中東では他の豆類に変わってきている。そら豆は暖かく、夏は乾燥した地中海の地域にも、もっと北のヨーロッパやアジアの地域にも栽培でき、今は中国が一番の産地となっている。種子は蛋白質の含量が多く、20〜25%にのぼる。そこで、エジプトなどでは貧しい人々の蛋白補給源になっていた。そら豆は家畜の餌としても使用された。Horse beanという名はここからきている。考古学的発掘によって、そら豆の栽培はBC3000年以前のものが、地中海沿岸や中央ヨーロッパ等で見つかっている。しかし、ナザレの近辺でBC6000年代のものが、エリコでも非常に古いものが見つかっていて、多分そら豆ではないかと思われている。今後の調査に期待できる。