同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 生ける石として・・・ —

森田 心

「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。」(1ペテロ 2:5)

 今年与えられました御言葉にありますように、生ける石として教会の益になる働きをすることが出来る者でありたいと願っています。
 昨年50代に足を踏み入れ、自らの歩みを深く思い返す時があり、又ここからどう信仰者として立っていくかを思わされました。
 私の母は天に召されてもう20年になりますが、死のほんの一週間前に母が私に残してくれた言葉が、今もなお薄れることなく心に残っています。それは「あなたの宝を天に蓄えて生きること。牧会者の必要とする器として生きること。」でした。30代、40代を走り続けてきた中で、神の恵みの数々をおぼえて心から感謝することであります。この年になりいよいよ義の教えに自らが生きること、そして生きてつかみとったものを、どのように次の世代の方々に受け渡していくことが出来るか考えさせられます。教会にあって共に生きさせていただいているとは言っても、それぞれの営みは違っています。その中でそれを強く結び合わせて下さるのが礼拝のメッセージであると思います。同じ一つの神の御旨を探り求めようとする心の営みは、そこに光を与えて下さいます。同じ価値基準を養われていく時に、同じ方向を見て進んで行くことが出来ます。ただし、一足飛びには出来ません。だからこそ教会に生きる若いたましいの内にも、必要な言葉を繰り返し繰り返し語っていくことと、更にそれ以上に一緒に取り組んでいく多くの時間が必要であることを強く感じます。
 今、少しずつではありますが、若い方々との接点の中で示されたときに助言をさせていただいています。もちろん何でも言って言いというわけではありませんですし、牧会者がいつもその方々を見て深く関わっている教会です。それを良く理解している上で、信徒の持つ神が与えて下さった朽ちることのない財産を愛する方達に伝えたいのです。私が言える立場やその年齢になったからではありません。ここから私自身の歩みの確かにしていく為の一つの戦いです。彼らに語ると同時に私にもそのことが問われます。だからこそ強く立って語っていく必要を感じます。教会を愛し、生ける石としての働きをなして生きたく願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)