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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—35

 新しい年を歩み出し、あっという間にひと月が経とうとしていますが、変わりなく聖書を学ぶ会、みことばが開かれ質問と共にメッセージが語り続けられていますことを感謝いたします。

 ヨシュア記8章が開かれました。「7章ではエリコの戦いでのアカンの不真実をきちんとすることによってアイに勝利、実際はアカンの問題がクローズアップされているが、民全体はOKだったのかというとそうではなく、見えない事柄が潜んでいる。神はそこにメスを入れている。厳しいだけではひねくれてしまい、どうしても開き直ってしまう。そのタイミングでなぜそこまで言われなければならないのかと。本当は扱われなくてはいけないにもかかわらず遜ることができない。主イエスキリストの十字架は自分にとってどういうことなのか。究極のところ神に扱われる、だから人を扱うということができる。私たちの宗教性、私はこうなりたいのですと極めて浅く、ご利益宗教、ちゃんと扱われていくということをしなければ変わらないままで終わる。前回のアイの戦いは3千人でいいですとしていたが8章では全イスラエルを召集しなさい、伏兵を設けなさいと語られた。距離をちぢめながら谷間で夜を過ごすということはやっかいなことでも。戦利品はまず最初に聖別し捧げなさい。エリコは最初のものとして神が取った、アカンはそれを待つことができなかった。自分で解釈を変えて自分に都合の良いようにしていないか、神の扱いの中に現代も私たちは生きることができるか、営まれていくことができるか。本気で信じている願っているというならばそのことを成していかなければならない。自分の好きなように事を進めるがゆえに人を扱うことができない。」と語られました。

 今回は石井さち子姉から「昨年の婦人会の時に先生は信仰が積み重なっていくことが大切ですと語られましたがどのようにしたらそれがなされていくでしょうか。」と質問がなされました。

 それに対して「信仰は実践されていくとどのようになったかがわかり積み重なっていくと、その上にさらに次のものがと意識しながらいるとわかってくると思います。信じていますと言うのはこれほど簡単なものはないが信じることほど難しいものはない。人を信じて裏切られることもあるが裏切られるから信じられないのではない。信じるということに長けていない、特化していくと身についていく。建て上げ信じることほど強いものはない、信じられない人は弱い、あえて信じるということでものを進めてみると良い、試してみると良い。確実に飛べるから飛ぶのではなく、届くかどうかわからないところを信じてそれをすると強い。いつから始めても遅くはない。それにはいろいろな分野があり、距離間もある。家族以上に友達ではいけない、一番近いところに神がいなければならない。きちんと順番をつけた方が良い。人と人との繋がり、あの時信じて良かったね、そこに神がいたねと。実際信じて委ねていくということは難しいがお互い信じてやっていくと2倍ではなく3倍、5倍、10倍になっていく。どういうかたちでもそのことをして行ったら良いと思う。」と語られました。

 神に扱われるということは人を通してなされること、信じる人々と共に前進する年となさせていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会:茂永 和子)