同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

キリスト教の魅力とは?

石井 和幸

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」 へブル11:1
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」コリントⅡ12:10

 私が勤める「石井商工」にて、長い間工場と店舗の責任を担ってきた叔父夫婦が、昨年末で退職されました。年頭から、平日の夕方5時から閉店時間まで、私が店番をしています。営業マンとしてお客さんを訪問することは今までも多くありましたが、店舗にて常時売り場に立つのは、学生時代コンビニのバイトをしたとき以来になります。叔父夫婦が退職するまで、私は主に工場・鉄工部門を担当していたので、店舗での販売については覚えなければならないことが沢山あります。店番をするのは私にとって緊張する時間ですが、やはりお客さんと直接触れ合うことができるので、楽しさを覚えるときでもあります。
 「石井商工」の店舗は、左官・設備業者が使用する道具を取り扱っています。(大きなホームセンターや管材店であまり置いていない左官用の鏝や道具が、「石井商工」なら必ず売っている!)そう信じて買いにくるお客さんがほとんどです。長い間、特に叔父が一生懸命お客さんのニーズを聞いて、品揃えをしてきた成果を痛感しています。「石井商工」の店舗の売りは、左官屋さんとの信頼関係であり、また、「ある意味マニアックな品揃え」であることを覚えました。
 私が営業マンになりたての頃、お客さんの信頼を得るために最も大切なことは、「依頼があったら何でも断ることをせずに客先の希望通り対応すること」だと思っていました。けれども、経験を重ねるうちに、「信頼を得る」ということは、結果としてお客さんが「石井なら良いものを提供してくれる」「石井なら、希望以上のことを提案してくれる」というような確信を、私と会社に対して抱くようになることなんだと、解るようになりました。ですから、「この状況ではお客さんが満足するものを提供できず、かえって迷惑をかける可能性がある」とあらかじめ解る場合は、仕事の依頼を断ったりもしました。
 店番をするようになってまだ間もないのですが、商売の世界においての「魅力」、「売り」はやはり「信頼」なのだと痛感しています。
 キリスト教の「魅力」「売り」も、やはり信頼ではないでしょうか?ただし、それは、うつろいやすい人間のものとは違う、神からの信頼を受けている真実であり、また、確かに私たちを愛してくださっているという、全能者であり、救い主である神への信頼です。信仰による歩みは、大変なことも多くありますが、私には喜びにあふれたもの、魅力に満ちているものであります。世の中にも魅力あるものは多くあふれています。しかし、私にとっては、神への信頼を貫き通す生涯以上に魅力あるものはありません。それは、教会において、先生方が豊かに関わってくださり、時には厳しさをもって教えていただき、従うこと、そして、それに対して結果を見せていただくことを積み重ねる中で見いだすことができた真理であります。
 冒頭に掲げました第二コリントのみことばは、私の教会で2014年の主題として示された聖句であります。「信じる力」を考えた時に、私が今示されていることは、「親が信じる神は、(たとえ困難があったとしても)ともに歩み、勝利を与えてくださる」と子どもが信じぬくことが出来るよう、主とともに歩む親の姿を見せていくことです。「主なる神が豊かに人と関わってくださること」を、どのようにしたら子どもが悟ることができるでしょう?それには、一時的なものであるお客さんとの信頼関係を築くのに心を砕く以上に、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして子どもと豊かに関わっていくことが大切だと教えられています。家庭のなかで、教会のなかで豊かに人格的な関わりをもち、成長が与えられることによって、主なる神と生涯ともに歩む、その魅力を覚えてほしいと願います。与えられた子どもたちが、洩れること無く真実の神をみいだすことが出来るように、真摯に祈り、取り組んでいきたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)