同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 真の人となられたイエス —


「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ 2:6-11)

 皆さんのイエス像は、かつての私が抱いていたと同じ、「半分神で、半分人なるイエス」ではありませんか?と何度も問うてみていますが、どなたからも回答を得たことがありません。口では「真の人であり、真の神なるイエスと」表現しますが、心の内に思い描いているイエスを考えると「半分神で、半分ひとなるイエス」像であるからかも知れません。
 私が救いの恵み与ったのはインマヌエル教団に所属している教会においてでした。それから6年間インマヌエル教会にいました。それでわりと教団創立当初に近い時期のインマヌエル教団を知っています。ガントレットという協力宣教師の先生がおられて、山本岩次郎牧師と仲がよく、ときどき荒川教会に招かれて、説教をされました。フルートを吹かれる方で、説教のとき演奏もなさるのでした。
 そのガントレット先生が翻訳した讃美歌が、インマヌエル讃美歌に、元歌の作詞者と一緒に名前が記されています。私の所属する教会では今も、クリスマスの時期が来るとよく歌われます。曲はD.L.ムーディーの伝道に協力したサンキーでしょう。

♪ み位をも み冠をも
   捨てて 降りましし
  栄えの主を 宿しまつる
   所は 無かりき
  ああ、主イエスよ 来ませ
   我が心の中に
  ああ、主イエスよ 来ませ
   ここに 汝が み座あり

 もしイエスが真の人となられたなら、み位をも、み冠をも<全部捨てて>ひととなられたのです。半分神で半分人であるイエスは、み位をも、み冠をも<半分捨てて>ひととなられたことになります。もう一度自分のイエス像を確認しましょう。イエスは自分と全く同じ人間であるかどうかを。