ショートコラムねだ
— 木にかけられるものはのろわれる —
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」(申命記 21:22-23)
「というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ 3:10-14)
冒頭に掲げているはじめのみことばに、イスラエルの死刑の方法は、石で撃ち殺すことでしたが、死刑になったあと、木につるされるということが書かれています。ひとびとに罪を犯すとこうなるぞ、という見せしめのためであったのでしょうか。そしてそれに「神がのろわれた者」と説明がついています。
木につるされた人の記事には以下のようなものがあります。
ヨセフの時エジプトの王、パロによってつるされた王宮の調理管長がいます。
ダビデの子アブシャロムは自分でつる下がってしまいました。
エステル記に書かれている人物ハマンはペルシャ王アハシュエロスの命令で、モルデカイをつるそうと思って立てた木に、じぶんがつるされました。
イスカリオテのユダ・・自分で首をくくったので木につるされたようになったものと思われます。片付けるためロープが切られたとき落下してはらわたがとびだしたようです。
イエスもローマ人によって木にかけられ呪われたものとなったのです。
その理由は、
・私たちを律法ののろいから解放するため
・アブラハムへの祝福が異邦人におよぶため
・私たちが約束の御霊を受けるため
と、後半のみことばをパウロが解説しています。