同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— こころに残る説教 —


「天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。あなたの子どもたちは急いで来る。あなたを滅ぼし、あなたを廃墟とした者は、あなたのところから出て行く。目を上げて、あたりを見回せ。彼らはみな集まって、あなたのところに来る。わたしは生きている。──主の御告げ──あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身につけ、花嫁のように彼らを帯に結ぶ。」(イザヤ書 49:13-18)

若い時、会社の都合で東京に出向になり、2年とすこしのあいだ荒川教会の祈祷会に出席させていただきました。日曜日の礼拝と夜の伝道会は仙台で出席し、日曜日の夜国道6号線を車で移動し、宿舎についたら1時間ほどねむり、会社に出勤する生活でした。
 それで、山本岩次郎先生の説教を毎週きくことができました。インマヌエル教団所属のときも、聖泉連合になってからも年3回聖会があって、そのときにも説教をきく機会はありましたが、連続して山本岩次郎先生の説教をきいたことのある数少ないメンバーのひとりとなりました。荒川教会出身の遠藤兄と森田初実姉は別格ですが。
 山本岩次郎先生は、エゼキエル書の
「枯骨の谷」37:1-28
「いのちの水の川」47:1-12
などからよく話されました。
それから、ネヘミヤ記から「築き建てる者」などです。

 冒頭のみことばを引用した説教はインマヌエル教団に所属していた時のものです。当時文語訳聖書をつかっていて、「手のひらにあなたを刻んだ」というところが「掌(たなごころ)に刻めり」となっていました。忘れないように手のひらに書く・・消えないように油性のマジックインクなどで・・ことをたまにはするかもしれません。それを神がなさるというのですからすごいことではありませんか。
 山本岩次郎先生はおまけをつけて、「たなごころ」を、こころに「棚」があって、このたなにはあなたのこと、と覚えの箇所がたくさんあり、わたくしたちそれぞれを神の心の棚に記憶してくださるといわれたと思います。
 わたくしの名を神が忘れないように、ご自分の手のひらに刻みつけておられる、こんなすばらしいことがほかにあるでしょうか。