同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— アレオパゴス —


「また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」(黙示 3:14-18)

  アレオパゴスはギリシャのアテネにある小高い丘でアクロポリスの近くにあり、現在は観光スポットの一つになっているそうです。今回取り上げようとしているのはパウロが伝道旅行にそこを訪れ、この上なく落胆させられたできごとです。

 ジェームズ・ストーカーの「パウロ伝」をすこし引用してみましょう。(同労者ホームページの表紙の下欄からアクセスできます。)
「103.アテネ ・・・彼の目的地はギリシャの主都アテネであった。彼がその町に入ったとき、通りに多数の像があることを意識しないではいられなかった。ここに人間のこころをあからさまに示し、他のどこにもない華麗さを誇っていた。アテネはその歴史上の最盛期には他のどの町にも勝って最も知的な人々がいた。今日に至るまでその名は栄光を装っている。けれどもパウロの時代には、実際のアテネは、それらは過去のものとなっていた。その最盛期から400年を経て、それらの世紀の道のりは悲しむべき下降の経験であった。哲学は詭弁に退化し、芸術は道楽に過ぎないものとなり、雄弁術は修辞法となり、詩は韻文作りとなった。町は過去の上に生きるものとなっていた。それでもアテネはその偉大な名を持ち続け、文化に満ち、学徒らがそこで学んでいた。様々な流派の学校があり教師たち、あらゆる種類の知識の教授たちがいて、いわゆる哲学者たちが寄り集まっていた。当時の世のすべての地域から集められた何千もの富んだ階級の外国人がいて、学びと知性の味わう喜びとのために生活していた。アテネはまだ世の人の人生の重要な要素のひとつである知的な訪問者にその役を演じていた。

104.すべての人にすべての事柄について対応できる驚くべき多彩さによって、パウロはそこの人々に対しても適応することができた。市場の学者たちのロビーに入って、ソクラテスが5世紀前に同じ地点で行ったと同様に、学徒たち、哲学者たちとの会話を始めた。しかし彼は出会った人々が、最も賢かったギリシャ人たちにくらべ真理に対する嗜好さえなくなっていることに気づいた。そこの住民たちは、真理を愛することに代えて知的な物珍しいことで満足していた。それが彼らの前に新しい教説をもたらす人を誰でも彼らが喜んで迎えるようにしていた。それで単にパウロのメッセージの理論的な部分についてのみ、彼らは喜んで聞いたのであった。彼らの興味は深まり、群衆はとうとう彼をマルスの丘(アレオパゴス)に招いた。そこは彼らの町の荘厳さの全くの中心であって、彼らはパウロの信仰の信条を語るように求めた。(「マルスの丘」はローマ人の呼び名、「アレオパゴス」はギリシャ人の呼び名。) パウロは彼らの望みに応え、彼らに向かって壮大な説教をした。彼らの好奇心をも満足させ最も高貴な雄弁家の格言を用い、唯一の神の偉大な真理を明らかにした。それはキリスト教の基礎として置かれている。しかし、彼が聴衆の救いについて明らかにし、彼らの良心に触れ始めたとき、彼らは彼が語るまま残して、一斉に離れていった。
105.彼はアテネを去り二度とそこに戻らなかった。彼がこれほど完全に失敗したところは、他のどこにもなかった。彼は激しい暴力的な迫害をも耐え忍び、こころ軽くそれから立ち直るのが習慣となっていた。しかし彼のような熱烈な信仰にとって迫害よりももっと悪いものがある。そして彼はここでそれに出くわした。彼のメッセージは興味も反対も引き起こさなかったのであった。例のアテネ人たちは彼を迫害する思いを持ったのでは決してないが、彼らは彼をただのおしゃべりとしてしか思わなかった。それでこの冷たい軽蔑は暴徒が投げる石や官吏のむちよりも深い痛手を彼に与えた。恐らく彼がそのときほど意気消沈したことはなかったことであろう。彼はアテネを去った後、アカヤにあるもう一つの大きな町、コリントに行った。そしてそのとき彼は弱り、不安で非常に恐れおののきながらそこに着いたと彼は私たちに語っている。」

 アテネの人々は、パウロを受け入れなかったが、迫害するのでもなく・・・熱くもなく、冷たくもない・・・無関心になって去りました。  パウロがこれ以上に落胆させられたことはどこの訪問地にもなかったと解説されています。

 私たちは、神についたり、この世についたりを行き来して、ぬるい信仰生活をしませんように。それ以上にイエスをがっかりさせることはないでしょう。