ショートコラムねだ
— イエスの奇跡を考察する-2 —
「そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」(マタイ 12:38-41)
「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。」(マタイ 16:4)
最初に掲げたみことばの問答の意味は、パリサイ派のひとびとがイエスに、イエスがキリストであることを証明する徴=奇跡を見せてくれといっているのです。
その理由は、ユダヤ人は神から派遣された人、預言者、キリスト、は奇跡によって神からでたものであることを証明すると信じていたからです。
それに対してイエスは、ヨナが、自分がキリストであることを示す徴だといいました。イエスは、ヨナの出来事が事実であって、実際におきたことであると認めておられます。また、アッシリヤの人々、特に首都ニネベの人々が、王とともに悔い改めたことを事実とされました。
イエスはヨナの徴以外与えないと言われましたが、多くの徴・・奇跡を行われていました。
「しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。」(ヨハネ 5:36)
パリサイ派の人々は目の前でイエスが奇跡を行っているのにそれをイエスが神から出たものである証拠と信じませんでした。
「もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。けれども今や、彼らはそのわざを見て、そのうえでわたしとわたしの父を憎みました。」(ヨハネ 15:24)
心が閉じていると目の前のものが見えなくなる・・理解できなくなるのです。
イエスが神のわざを行ってご自分が神から出たものであることを示されたのは、ユダヤ人に対する寛容なお取りはからいでした。
残念ながらユダヤ人たちは信じることができませんでした。原因はイエスを妬んだためです。