同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの再臨>

先月の質問は、
 イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

6.イエス・キリストの再臨の時期

(1) イエス・キリストの再臨の正確な時期は、私たちに示されていない。
「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。・・・
だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」(マタイ 24:36、42)
「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」(マルコ 13:32)
 註:ダニエル書に示されている資料を計算することによって、イエス・キリストの再臨の時日を確かめようとすることは全然信頼に値しません。それは全く不可能なことをあえてなそうとしているのです。なぜならそれらの記録は決してキリストの再臨の時期を正確に示す手がかりを与えることを目的にしていないからです。いや、むしろ時日のことは人々に不正確にしておくことが神のみこころであり、人間を取り扱う方法に適しています。なおまた、ダニエルのこれらの預言は、次に掲げるマルコの福音書13章32節のみことばをキリストが語られた時にも、既に存在していたものであったことを考えなければならなりません。「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」主は疑いもなくダニエル書のこれらの預言がいかなることを教え、如何なることを意味しているかをよくご存じであったに違いありません。それにも拘わらず主は明らかにご自身の再臨の時日を知らないと宣言しておられます。それ故、キリストの再臨の時日を決定しようとする教師は何人(なにびと)といえども全く信用するに足らないものであると同時に、そうした計算に骨折るということは全く不必要であるというべきです。  神は私たちがイエス・キリストの再臨の時日を知ることを望んでおられないのです。  使徒の働き1章7節には、「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」とイエスご自身が語られたことが記されています。  従って、時また期は神ご自身の権威のうちに委ねられています。神はただ、私たちが主の再臨に備えて、常に目を覚ましてそれを待ち望んでいることを望んでおられるのです。
 
 
 

<今月の質問>

イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。(つづきを)

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