同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの再臨>

先月の質問は、
 イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

3.キリストの再臨はどのように起きるか(つづき)

(6) イエスは盗人のようにおいでになる--何の予告もなく、予期していない時に突然来られる。
「──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──」(黙示 16:15)
「主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」(テサロニケI 5:2-3)

イエス・キリストは、この世の人々が平日のとおりに普通の仕事をしているときおいでになります。マタイの福音書 24:34-39 に、「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」と書いてあるとおりです。
 主のご再臨に至るまでの様々なできごとについて完全で十分な図表を描き、その時期を明言しようとする試みは、ここに書いてあるご再臨についてのみことばを無意味なものとする弊害があります。
 私たちは、いつ主がおいでになるかを特定するのではなく、いつ主がおいでになってもよいように生活することを求められているのです。その日が罠のように、くることがないように常に注意しなければなりません。

 ルカの福音書 21:34-35 「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。」

4.キリストの再臨の目的

(1) イエス・キリストはご自身に属する者たちをご自分のもとに迎えるために再臨される。それは彼のおられる所に、私たちも一緒にいるためである。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ 14:3)
 イエス・キリストを再びこの世に来たらせるものは何かと問いますならば、それはまず第一にご自身の属する者たちに対する愛です。彼は私たちを非常に強い愛をもって愛しておられる方ですから、私たちなしにおられることができないのです。
(比較:ヨハネ 17:24 「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」)
(2) イエス・キリストは「私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えてくださるために、再びおいでになられる。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ 3:20-21)
 
 

<今月の質問>

イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。(つづきを)

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