同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの再臨>

先月の質問は、
 イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.キリストの再臨の結果

5.4 諸国民と新生していない個々人について(つづき)

(3) 主イエス・キリストの再臨の時には、残っている人々と、主の名を称えている凡ての異邦人(すなわち諸国民)が主を慕い求める。そして国々の民と多くの町々の民も来る。そのとおり、多くの民と強い国民もエルサレムに来て、万軍の主を求め、主の恵みを懇願するようになる。
「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。」(使徒 15:16)
「万軍の主はこう仰せられる。「再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう』と言う。多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」(ゼカリヤ書 8:20-23)
「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ書 2:2-3)
<質問>
もし、キリストの再臨直後に、諸国民が主のみ前に集められ、裁かれ、分かたれ、それぞれ永遠の処罰に進んだなら、どうしてこのようなことが起き得るのだろうか?
 
 
<回答>
キリスト再臨の直後に諸国民が集められるとは聖書に書かれていない。(集められる時が「直後」と限定されていない。)聖書の解釈にあたって私たちが直面する多くの困難は、書かれていないことを読み込んで解釈しようとすることに起因する。聖書の預言はこれから起きることを時系列に従って書いてはいない。従って、書いてあることにも、その順序を誤って理解することもあり得る。主の再臨の記事は、これから起こることを示し、私たちに目を覚ましているよう警告をあたえているのである。記されていることは文字通り実現するであろうが、歴史の順でないことを憶えておくべきである。

 
 
 

<今月の質問>

イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。(つづきを)

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