同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

質問してみよう「聖書を学ぶ会」—3

 今回の質問は高校3年生の山本守兄です。
 サムエル記から「ハンナがサムエルを与えられ、サムエルを主の宮のエリに渡す時の思いはどうだったのでしょうか?」でした。彼は教会学校の劇団GEMS(ジェムズ)の監督として立っています。特別伝道集会で今回「ハンナ」を演じることになっていたのでそのことを考えていたと思いますが、同席しているハンナ役のM姉にも、その思いを汲んで演じてほしいとの願いが込められていたのではないかと・・・。
 5月の連休に行なわれた教会キャンプでは「ハンナの祈り」が取り上げられた分科会もあり、出席された方々の報告やお証しが分かち合われました。
そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(I サムエル記 1:11)
 祈って確信し、ハンナの心はいらだちから平安へと変えられ、神への明け渡しがなされていたことを教えていただきました。
先生はサムエルが与えられてから渡すまでの期限付きの愛は、とても豊かだったのではないかと語られました。神に関わって、神が確かに介入して下さり、与えられたというすばらしさを実感していたのではないでしょうかと。
 私たちも与えられた子供は神様のものであって自分のものにしてはいけないこと。私たちの中の中途半端さは神でないものをそこに入れたいという思いがあり、神を入れない部分には、時が経ち気づいた時には穴が空いていることへの警戒を与えられました。
 集会の後半になっても少しでも恵みをいただこうと駆けつけて来られる方々の姿勢に感謝を覚えました。

(執筆担当 茂永 和子  仙台聖泉キリスト教会会員)

Valid XHTML 1.0 Strict