同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖霊を受けましたか? —

「ヨハネは彼らに言った。・・・私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。・・その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ 3:7、11)
「・・・パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」(使徒 19:1-6)

 今年の教会暦では6月12日がペンテコステにあたります。以前掲載した論説にも述べましたが、イエスの十字架による死と復活、イエスが昇天されイエスに代わって聖霊がおいでになった一連のできごとは、歴史上のほんの1点においてなされたことです。ですからそれら全体がまとまって救いの歴史の転換点をもたらす働きをしているわけです。 ヨハネの述べている内容をすなおに考えるなら、イエスの働きの主要な部分は<聖霊によってバプテスマをほどこす>ことにあるということになります。もちろん、ヨハネの水のバプテスマは、悔い改めてイエスの贖いによる罪の赦しと新生に与ることを示し、それを受けた後に、イエスのそのお働きに与るのです。聖霊のバプテスマは、イエスの直弟子たちだけのものでしょうか? 上に掲げたパウロのことばから、その答えは明かです。それは全てのキリスト者のものであるのです。
 たとえヨハネのバプテスマではなく、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けたとしても、もし聖霊を受けていなかったなら、聖霊を受ける前のエペソの信者と何か変わるところがあるでしょうか。
 皆さんは、ここで論じられている意味で<聖霊を受けましたか?>
信仰書を読むなどを通して知識だけは得ていますが、しかしそれを経験していないし、魂に内住していてくださる助け主、聖霊と生活を共にしていない信者は多くいます。私たちが神に従って生きるならば、聖霊は私たちに光を与えて、私たちが与えられているものは何かを明らかにしてくださいます。持っていないものを持っていると主張して、「あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(ヨハネ9:41)と指摘されたパリサイ人たちのような失敗をしないように謙っていましょう。そうすれば、「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

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