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キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 聖書研究会の当務 ~

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森田 忍

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」(ヨハネ 12:26)


  今年も早いもので3ヶ月が過ぎました。教会と、また私個人にも御言葉が与えられ、このところまで歩みが守られ、導きが備えられつづけていることを感謝しております。
 この年の教会の働きにおいて、私は聖書研究会の務めにあたらせていただきました。聖書研究会は長い歴史があり、私の父よりも年上の方々が長年その働きをなされていました。今年私もその当務の一人に加えさせていただきましたが、自分は聖書の知識も浅く、語らせていただくのにはまだ及ばないのではないかと自らの中で思うことがあります。しかし、神がそのような私にこの務めを与えてくださった意味はなんなのかと同時に考えさせられました。
そんな折、野澤兄が学びの備えをともにしてくださり、その際に「聖書研究会はその学びを通して、当務にあたる方に神の恵みが注がれます」と仰っていました。私は長年教会で聖書の学びの働きをなされてきた野澤兄は、知識だけではなく、神から与えられている恵みを、喜びをもって学びという形で現されているのだなと感じました。
私自身、与えられている責任の大きさに尻込みしてしまいやすい者でありますが、今年のメッセージの主題の「変革」という言葉は、自分にとってどのような意味をもつものか考えさせられました。人は変化というものには臆しやすい部分がありますが、私達クリスチャンは、神からの導きと恵みがあると信じて、変化を恐れずに進むことが大切であると思います。よい結果を望むこともありますが、そのようにならない時にも、神をそば近くに感じること、神への変わらない信頼と感謝を持つことが、自らの変革に必要だと強く感じます。
 この聖書研究会の働きも、よい学びの発表ということではなく、聖書の記事を通して、私が備えの中で神から示されたことを力強く証する者でありたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)