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キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ ギデオンに学ぶ ~

keiiti-san

齋藤 恵一


「ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、あの割礼を受けていない者どもの先陣のところに渡って行こう。たぶん、主が我々に味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」」(サムエル記Ⅰ 14:6)

 今回聖書の物語を自らの体験や考えと照らし合わせて書かせて頂こうと思います。
 ギデオンという人物が聖書に出てきます。ギデオンはイスラエルの小さな部族の生まれで、その部族は始めはイスラエルの神を信じていました。しかし、途中から別の神々に頼るようになり、イスラエルの神から離れてしまいました。
そんな時ミデヤンの民がその地域を支配しようと攻めにやってきました。慌てたイスラエルの民は戸惑いました。ギデオンの両親も慌てました。
ギデオンはミデヤンの民を恐れていたわけではありませんでしたが、彼らにどのように立ち向かうかがわからず、悩んでいました。
そんな時、神の使いが現れ、ギデオンに神がともにおられること、彼にミデヤンの民と対峙することを示しました。彼はこのことが本当のことなのか。半信半疑でした。確認させてくださいと叫びました。何せ、ミデヤンの民は強く、大勢で、攻め込まれたらひとたまりもありません。

 ギデオンは慎重に見定めようとしていました。神はギデオンの求めに応じました。彼は真実の神の助けがこのミデヤンの民との戦いにあることを知り、半信半疑から揺るぎない確信に変わりました。彼はミデヤンと戦う者たちを集いました。
この戦いには神が共に戦ってくれるとその確信と共に仲間を集いました。集った者たちは色々な思いを抱えて集いました。真実の神を慕い求めて集まった者もいれば、家族を侵略者から守るために集まった者、その戦いでもたらされる報酬を目的として集まった者、自らの勇士を現そうと集まった者、ギデオンはそれでも良いと思いました。共に戦ってくれるのであれば。しかし、神は違っていました。私を慕って集まった者以外は戦いに連れて行くことは出来ないと言われました。
 彼らは、このことがどうしても受け入れられませんでした。それは戦争という事柄において、異常な異様なことだったからです。
ミデヤンの民は強く大軍勢で我々は小さな部族で絶望的な状況だったからです。我々の中の勇士たちが戦いで死んでしまうことは、その地を守るものがいなくなり、ミデヤンの民がこの地に侵略してくるということは、我々は死を覚悟しなくてはいけません。その中には伴侶がいたり、生まれて間もない子供もいたかもしれません。
しかしギデオンは神が言われたとおり一つ一つ行っていくことが重要であると知っていました。神は信じる者の前に現れてくださり、信じる者に奇跡を見せて下さることを知っていました。ギデオンはこの過酷な状況だからこそ神を信じる以外に他に方法がありませんでした。ゆえに神は、その優れた御力を現してくださいました。
神が示したもう道、私たちがありたい姿この2つが一致した時、神は我々の創造を超える結果をもたらしてくれます。しかし目に見える事柄に翻弄されて信じる心が揺らいだ時、神は悲しまれることと思います。私たちの家庭も神の御力を信じて一つ一つ取組み、勝利していく者たちでありたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)