同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 地道な信仰生活 —

茂永 進



「すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ」」(コロサイ 3:12-14)

 私は17歳の高校2年生の時に神の救いを受け、32年が経とうとしています。長い信仰生活の中、結婚が導かれ、クリスチャン家庭を建設しつつ、与えられました娘も神の救いを受け、この春から大学に入学するところまで成長を守って頂きました。
 多くの欠けを持った私ですが、本当に地道に家族と共に教会生活を守り、先生方を信頼して、牧会の中に生きることを最善として歩んできました。結婚してからは、妻の信仰の姿勢に励まされ、何度も弱った自分の霊性を回復してくることが出来ました。
 世は今、世界的な大流行のコロナウイルスによる猛威で人々の健康と社会生活が大きく脅かされています。当たり前の日常が大きく変わり、予想もしなかった生活の不安と生命の危機を感じる日々となっています。 そのような中で、私の家庭においても、娘の高校の卒業式に親としての参加が許されませんでした。親として本当に残念な思いでした。しかし、この娘の高校3年間の生活の中、私は、毎日の朝の通学において、自宅から学校まで車で送り続けることが出来たことを本当に感謝しています。私が仕事で独立したことにより、娘を学校に送ることが可能になったからです。私にとって決して楽な事柄ではありませんでしたが、大切な娘との時間を与えて頂きました。通学する車の中で、特に何か大切なことを娘に話すということがあったわけではありません。娘も車に乗ると、用意してきた朝ご飯を食べて、すぐに寝てしまい、学校に着くのが常でした。それでも、振り返ればこの地道な繰り返しが、娘と父親としての私の距離を離さずに出来た大切な時間であったことを思います。
 私がこの年、神より示されていることは、どのような状況にあっても信仰者としての姿勢を保ち、神のなさる業を待ち望み続けることであるということです。
 特に、私の日常は神に導かれ、独立開業し5年目を迎えた事業を、信仰をもって成功させて頂くことが出来るように切に祈り続けています。
神はこの世において、足らざる者にこそ、その栄光を顕わして下さる方です。私もまさにそのような者であり、神により多くの恵みと大いなる助けを頂いてきました。
 モーセが神に、栄光を顕わして下さるように求めたとき、神は恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむと言われました。私も神にそのような者とさせて頂きたいと強く願うものであります。  

(仙台聖泉キリスト教会 会員)