同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 下がれサタン —


 ヨブ記について考えたい。
前に同じこのコラムに「人学(じんがく)」というタイトルで書いたことがあり、そのなかにこのヨブ記について触れているが、それは哲学もどきの視点からであった。

 今回はドラマ「ヨブ」である。

主要人物は、神、サタン、ヨブ・・神を人物と呼んでは恐れ多いが・・助演者は、ヨブの妻、三人の友人、そしてエリフである。
 ストーリーの中心は、サタンがなんとかして、ヨブを陥れようとすること、それを神が善に変えてヨブを高めようとすることにある。
 ヨブの妻と三人の友人たちは、知らずにサタンの代弁者になった。

 すべての権威は神にあり、サタンは神の許可をもらって行動する。

サタンがヨブを陥れようとした、最初の手段は、ご存じの通り、ヨブの持ち物すなわち一切の財産を奪い、子どもたちを皆殺しにすることであった。同時に彼は名誉も地位もこの世の一切を失い悪ガキたちにさえも嘲られる者となった。
その時のヨブの答えは、
「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。

  「私は裸で母の胎から出て来た。
  また、裸で私はかしこに帰ろう。
  主は与え、主は取られる。
  主の御名はほむべきかな。」

ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」(ヨブ記1:20-22) であった。

 サタンの第二の手段、これも皆さんのよく知るところであるが、彼の体に悪性の病おこし、肉体的に苦しめることであった。
「サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。」(ヨブ記2:7-8)
 ヨブの答えは、
「・・・私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。」 (ヨブ記2:10-11)

 聖書の記述は前後するが、ここでヨブの妻が、一枚加わってくる。
それはペテロがイエスに言い出したことばを連想させる。
ヨブの妻はこういった。
「すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」(ヨブ記2:9)
するとヨブはこう言って妻をたしなめた。
「しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。・・」(ヨブ記2:9-10)
イエスとペテロのやり取りはこうであった。
「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」」(マタイ 16:21-23)

 サタンがヨブを陥れようとした第四の手段は、友人たちの善意を利用することであった。
ヨブの友人たちは、ヨブを慰めようと結束してやってきたのだか、悲しいかな、彼らはまんまとサタンに載せられてしまった。
彼らは、「禍がやってくるのは罪を犯した結果である。だから、ヨブに禍がきたのは、ヨブが罪を犯したからである。」という考えに凝り固まっていた。
それを立証しようと一生懸命になった。
サタンがみことばを用いてイエスを誘惑しようとしたように、人間の知識や経験、先人の教えなどを次々と用いたが、ヨブの方が現実をよく観察していた。
けれども、それによってサタンは、ヨブに、「生まれてこなければよかった。」と言わせることに成功した。
しかしその一方で、ヨブに「私を贖ってくださる方がおられる」という光を与えることとなった。
またヨブの義が明らかにされ(ヨブ記31章)その義は、パウロが自分について、律法の義について責められるべきところがない、と述べたことに匹敵する。
しかしそれは律法による義に類するものであった。

 イエスの前にヨハネがきたように、エリフという人物によって、ヨブのこころが耕され、その後、神は直接ヨブにご自身のいかなるものかを示された。
それでヨブは、

「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。」(ヨブ記 42:5-6)

と神に告白した。律法の義では神の前に立つことができなかったのである。

神はサタンの口となった三人の友人たちにも救いの道を残された。
「主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ
・・テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデと、ナアマ人ツォファルが行って、主の彼らに命じたようにすると、主はヨブの祈りを受け入れられた。(ヨブ記42:7-9)

「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。」 (ヨブ記42:10)

神がヨブの繁栄を元通りにされた「時」に着目して終わりにしよう。
印刷版には記さなかったが、ヨブにとってその「時」は、アブラハムが、
「わたしは全能の神である。
  あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」
と言われた時に相当している。