同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 互いに仕える ~

masaru-san

石井 勝


「「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ 3:13-14)

 昨年、結婚が与えられたのと同時に、礼拝の司会の当務に任命されました。
週の初めの聖日の大切な礼拝の時、講壇に立たせていただくという事は、大変感謝な事であると同時に、大きな緊張を覚えます。ある兄弟は私に「僕は、礼拝の司会を始めて30年以上経つけれど、未だに慣れないし、緊張する。聖書を読む時は口がカラカラに乾いてしまうよ。」と話して下さいました。礼拝の司会は教会の様々な御用の中でも、特別な緊張感があります。
私も昨年からこれまで、3回司会をさせて頂きましたが、前日の土曜日から、だんだんと緊張感が高まり、その備えの時を過ごしています。家庭の中にも、いつもとは少し違う空気が流れ、備えの為に、1人部屋に籠っている時間も多くなります。
しかし、備えの最後には、妻と共に詩編交読をして、聖書朗読の箇所を聞いてもらうようにしています。そこで、妻に意見やアドバイスをもらいます。
「あなたは、声が籠ってしまう時があるから、ハッキリ読む事を意識した方が良いと思う」等、一人ではなかなか気が付かないことを指摘されます。最後に、指摘された事を修正して、そのことを意識しながら、御用に臨みます。また、妻にとっても、御用の前の緊張感を共有すると共に、聖書を深く読む機会となっており、その所から、疑問点が生まれ、聖書を学ぶ会の質問へと導かれております。
この事は、私たちの家庭の霊的な営みとして、大切な時間となっています。これからも、許されるならば、長く続けて行きたいと願います。
互いに干渉し合うという事は、時に自らの弱点を指摘されることもあり、そこには忍耐も伴います。しかし、同じ神を信じ、同じ価値観の中で共に生きる為には、とても大切な事であると感じます。一人よがりになるのではなく、干渉の中で生きるものとさせて頂きたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)