同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— ルベン・アーチャー・トーレイ(1856-1928) -<伝道者にして教育者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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     トーレイ博士が死ぬちょっと前に、長年にわたって、彼がその広い聴衆席を毎週ほとんど一杯にするという卓越した奉仕をしたロサンジェルスにあるオープン・ドア教会の講壇で、最後の説教をするということが明らかになった。私にとって、信仰を持ったばかりの頃、トーレイ博士の著作は、非常に助けになった。そこで、私は、非常な興味を持ってその礼拝に参加し、多くの人々が証するようにその期待は裏切られなかった。礼拝後、私は、トーレイ博士にご挨拶をしお話する特権にあずかった。

     ブリタニカ百科事典(1973年版)は、トーレイ博士について、「アメリカの伝道者。D・L・ムーディの後継者のひとりで、彼と同時代のリバイバリストの中で、その学歴において傑出した人物である;彼は、エール大学を卒業し・・・ドイツのライプチヒとエアランゲンで学んだ。」と書き記す。

     ウィクリフ教会人物辞典は、「彼は40冊の宗教書の著者である」と記し、また、「1902年から1906年の間に、トーレイ博士は現代において注目すべき福音主義運動を展開し、オーストラリア、タスマニア、ニュージーランド、インド、中国、日本、英国、ドイツ、カナダ、アメリカで奉仕をした。」とも書き記す。彼の著作物も講義も、現代の学問と十分肩を並べるものでありながら、しかも、一般人にも役に立つ平易さがあった。

     私たちは、彼の回心物語を、ロジャー・マーティン(主の剣出版;Sword of the Lord Publishers)によって書かれた「R・A・トーレイ;確信の使徒」から引用しよう。大学に入学する以前でさえ、「彼のお気に入りの気晴らしは、彼の家の屋根裏部屋で、蔵書として保存された古い本を立ち読みすることであった。ある日、彼は、ニューヨークのジェニーヴァにある第一長老教会の約款を発見した。そして、ページをめくりながらそれを読んだ。彼は、たちまちその本に心を奪われた。『私は、教会員になることができるだろうか?』彼は、ためらうことなくその本の中に記された主張にうなずくことができた。しかし、クリスチャンは、神がその人になさせたいと思われるまさにその事を喜んで行わねばならないと書いてある部分まで来たとき、彼は突然、本を閉じ、傍らに放り出し、『もし、それに【はい】と言えば、神は福音を宣べ伝えるために私をお召しになりかねない。でも、私は法律家になろうと決めてしまった。私はクリスチャンになることはできない・・・』」

     「トーレイは、若干15歳でエール大学に入学した・・・優れた記憶力ゆえに、彼はトランプゲームの達人であった。彼は、この道楽に、たびたび、午後の時間を費やした。彼はまた、ダンスも好きで、一週間のうち四日間はこの楽しみのために時間を使った。エール大学では、喫煙や社交上の飲酒は学生達の一般的な習慣で、ルベンもまた、それらに魅力を感じていた。ルベンには、あらゆるものが提供されており、彼も、それらを十分利用した・・・」

     「しかし、また、宗教的な振る舞いについても、強調しておこう・・・ルベンはまだクリスチャンになったわけではなかったが、宗教的な外見を保っていた。彼は、日曜礼拝に規則的に参加し、自分の聖書を読み、当然のことのように、毎日祈っていた。このような習慣が、幼いときから身に付いていたが、礼拝に出席して忘れることのできない印象を抱くような経験はしたことがなかった。この時点で、彼の世の楽しみに向かう強い傾向が、完全に彼の考えと生き方とを支配していた・・・『このような以前の生活の中で、私はトランプのテーブル、劇場、ダンス、競馬、シャンペンの出る夕食が好きで、祈り会や、日曜日の礼拝は嫌いであった』・・・」

     「ルベンはもうすぐ大学3年生を終えようとしていた。彼は、世の楽しみの泉を探し求めたが、そこに、彼の期待した豊かな満足を見出していなかった。しかも、法律家になりたいという大志も、薄れかけていた。彼の『肉の確信』がひどく揺るがされたとき、転機がやってきた。」

     「真夜中に、深刻な失望感に息が詰まって目が覚めた。人生には、何の希望もないように思えた。絶望感の中で、ベッドから飛び起き、洗面台に行き引き出しを開けた。『こんな惨めな生き方はもう終わりにしよう。カミソリはどこだ?』しかし、神は、彼の震えながら探し回る指を握られた。その瞬間、彼は暗闇の中で、開いた引き出しの傍らにがっくり膝を落とし、祈りはじめた。『神よ。あなたがこの恐ろしい重荷を取り去ってくださるなら、私は説教します。』突然、奇妙な平安が彼を支配し、安らかな眠りへと導いた。」
     「後に彼が語ったところによると、『私は、クリスチャンになるというより、月の上を飛び越えるような決意を持ってベッドに向かった。初歩的な罪の覚醒は、後になってやってきた。私の427マイル離れたところに住んでいた私の母は、私が福音に仕える者になるようにと毎日、祈りに祈っていた。私が、説教や議論や教会や、あらゆるものを克服したとしても、私の母の祈りにだけはかなわない・・・。』

     「彼は、自分の決断をクラスメートに話した。彼らは、冗談を言っているのだろうと思った・・・彼は、エール大学の四年生になってはじめて、公に信仰を告白し、教会に所属した。主に、彼の霊的進歩が遅いことに起因した、教会に所属する事へのためらいは克服され、公にキリストを告白する決断がなされた。」

     「トーレイ博士の回心に関する他の著作は、C・S・アイザックソンによる『キリストへの道』で、彼の回心に関する結論として、トーレイ自身の言葉で次のように結んでいる:『神学校在学中、ギボンの大きな影響によって、私は完全な不可知論に陥っていた。私は、聖書が神の言葉であるのか否か;かつてイエスキリストのような人格が存在したのか否か;彼は神の子であるのか否か;神は存在するのか否か;真理を知ろうと決心した。この暗黒から、私はすべてのクリスチャンのすばらしい真実である確かな信仰の光の中に入った。その日から、神は毎年私を導き、日ごとに、以前の私よりも、より良い人間に成長させられてきたと言えると思う。』」

     最後に、もう一度、ウィルバー・M・スミス著「有益な聖書研究」(p.72)の中にあるトーレイ博士の言葉を引用しよう。トーレイ博士は「哲学や、科学、歴史、文学、語学など様々の学問を真剣に研究して得られる喜びは、少年時代から私の全生涯を通じての主要な喜びであった。しかし、聖書研究を通して、即ちこの不思議に満ちた、尽きることのない聖書という宝の山の探索を通して、他の研究を通して得るすべての喜びが一瞬にして価値のないものとなる、そんな喜びがやってきた。」と言った。

    編集者註:
     先日教会の祈祷会で、私の救われた時の証しをしました。私が救いに導かれたのは、「自分の心が虚しい」と覚醒されたからでした。それで、なぜその覚醒が与えられたのか、それは私のために祈ってくれた人々がいたから、とお話ししました。
     トーレイの証しはそれと同じで、彼には祈ってくれた母がいた、とのことです。
     皆さんも救いたい人のために祈るなら、神はその祈りに答えてそのひとに覚醒をお与えになります。