同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— フランシス・リドレイ・ハバガル -<神の賛美歌作> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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     国際的に知られた賛美歌作者フランシス・リドレイ・ハバガルは、当時のエリート社会から信仰を持った人で、いつも主の栄光を追求していた。三歳の時に読むことを学び、四歳になる頃には、聖書を読んでいた。すぐに、彼女は、四福音書、書簡、黙示録ばかりか、詩篇、イザヤ書、小預言書をも暗記してしまった。七歳の時には、詩を書いていた。彼女の母は、彼女が僅か十一歳の時に亡くなった。そして、彼女は、ヨーロッパ大陸で教育を受けた。彼女は、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ウェールズ語が出来、聖書を、原語のヘブライ語やギリシャ語で読む高等教育を受けたイギリス女性であった。また、ハバガル女史は、優れた歌い手で、ピアノも上手に演奏でき、コンサート・アーチストになることが出来た。
     ハバガル女史は、14歳の時、─聖書には親しんでいたものの、かなりもがき苦しんだ後に─、経験した明確な回心物語を語る。彼女の回心物語は、妹の書いた‘フランシス・リドレイ・ハバガルの思い出’という本から引用した。
     「時々、私は‘話しかけられる’ことが、すっかり嫌になり、親切そうに見える忠告や私のために捧げられる祈りから逃れるためなら、何でもしたいと思った。」
     「ある春に、私は、一日に何度も、『ああ、神様にできるなら、夏が来る前に、さっさと、私をクリスチャンにしてください!』と、独り言を言った。私はもはや、クリスチャンにならずに、夏がきて過ぎ去っていくなど考えることができなかった。いつか、わが父なる神が、なぜ、このように、幼いとき、ひとりぼっちで歩ませたか、また、他の人々は、私が幸福で、考え込むことなどない子供だと思っていたけれども、なぜ、かくも長い間、不満と不安の中にいるように定められたのか、知ることになるだろう。しかし、神は教え続けておられたに違いない。」
     「私は、何としても幸福になりたかったし、クリスチャンにもなりたかった。そして、激しく祈る以外に、そのようになるすべを全く知らなかった;そして、私はあまりにも激しく祈ったので、その結果のむなしさにすっかり参ってしまった。このとき、私は、主イエスを信じることについても、また、かくも長い間幼い魂を圧迫してきた重荷を取り除くということについても、はっきりとした考えを持っていたとは思えない。さて、私は、あまりに不安になったので、二週間近くためらった後に、私の悩みを教会の副牧師に話した。特に、私は、日曜の午後に、聖書を読んだり、祈ったりすることなど、全然、心掛けていないので、だんだん悪くなるのではないだろうかと考えていることを告げた。副牧師の助言は、私に満足を与えなかった;それで、私の唇は、それから五年かそれ以上の間、神以外のすべての人に対して封印された。」

     「8月、私にとって大きな喜びであったことは、トウィード夫人の学校へ行ったことであった。彼女は、誰も感動なしにはその学校を去ることができない祈りをした。多くの人が、自分の神に対する真の回心はそのときから始まったと振り返る。今まで沈黙していた人たちが、一人、また一人と、彼らが発見した信仰の平安と喜びの何たるかを語りはじめ、この学校に来たことで、神をほめたたえた。私は、彼らが互いに、確信と喜びといった話題で語り合うのを聞いて、私の心はいっそう沈み込み、そこには、とても到達できないように思えた。」

     「ずっと以前から、私は、クック女史(後に、彼女の継母となった)を心から信頼していた。彼女が、オークハンプトン訪問していた同じ時、私もそこにいて、何度か語り合った。そのたびごとに、私は、より真剣になり、希望を持てるようになった。ついに、ある晩、私はひとり彼女とともに、応接室のソファーに腰を下ろし、再び、どれほど、赦されたことを知りたいと願ってきたかを語った。」

     「いろいろなことを語った後で、彼女は言った。『どうしてあなたは、自分自身をあなたの救い主にすぐにお委せすることができないの?考えてごらん。
    今、たった今、天から雲に乗ったキリストが、贖われた人々を引き上げるためにやってこられたとしたら、あなたは、主を信頼することができないかしら?
    主の召しと、主の約束は、あなたにとって十分ではないのかしら?
    あなたは、あなたの魂を主に、あなたの救い主イエス様に委ねることができないかしら?』
    そのとき、希望のひらめきが私を貫き、文字通り、息を飲むような感じがした。
    私は、動悸が激しくなったことを覚えている。『確かにできます』というのが、私の答えであった;そして、私は、突然、彼女を一人にして、そのことをよく考えようと二階にかけ上った。私は、自分の部屋で、体を投げ出してひざまずき、突然やってきた希望を実現しようと努力した。ついに、すばらしい幸福を味わった。私は、自分の魂をイエス様に委ねることができた。私は、キリストの来臨を恐れないし、恐れる必要もなかった。私は、自分のすべてをもって永遠に主を信頼する事ができた。そうすることができたということが、ほとんど信じられなかったが、現実に、私は、そのようなステップを踏んだ。そのとき、そこで、私は自分の魂を救い主におゆだねした;私は、いささかも恐れや不安がなかったと言うつもりはない、しかし、私は確かに、確かに、主イエスを信じた。─そして、その瞬間から、天地が輝いたように思えた─
     ハバガル女史は、
    「われいのちを(聖歌157番)」、
    「主のめいうけ(聖歌334番)」、
    「神のたもう安けさは(聖歌471番)」
    といった有名な賛美歌ばかりでなく、
    「主の用と恵み深さに備えて」など、いくつかの霊想書を書いた。彼女は、自分の作詩した賛美歌の多くに、曲もつけた。たぶん、彼女の最もよく知られた賛美歌は、
    「主よわがいのち(聖歌313番)」
    で、ヨーロッパのほとんどの言語に訳され、アジアやアフリカの国々の言葉にも訳されている。その歌詞の中に「私の金銀を少しも残さずお受け取りください」という一節があるが、作者の感傷的なことばなどではない;主は、高価な宝石で満たされた貴重な宝石箱を手に入れるために、その言葉を彼女の心に置き、それを福音の拡大のため宣教師の世界へと送られた。カスリーン・ブランチャードが言ったように、「フランシス・リドレイ・ハバガルが人類に残した遺産の価値は、はかり知ることができない。」

     フランシスは、大西洋の向こう側のもう一人のフランシス-またの名を“ファニー”クロスビー-と文通し、彼女に詩を書いて贈っていた。アメリカのフランシスは95歳まで生きたが、ハバガル女史は、42歳で亡くなった。健康上の理由で、彼女は晩年を南ウェールズのスワンシーで過ごした。ダッフィールドは、「彼女は、ウェールズの教会の礼拝に参加するために、無学な少女からすらウェールズ語を学んだ・・・彼女のキリスト教は、彼女の卓越した特徴となり、彼女の敬虔は、深みがありまた魅力的でもあった。」と語る。

     長い間、健康がすぐれなかったことを反映して、彼女が書いた「F.R.H.の第七巻のプレリュード1872」の中に、次のような一節がある:

     私は苦しみにひるまない
     たとい主をほめたたえる以外に何もできなかったとしても
     人生という葉っぱ中で、第七番目の小さな一葉
     今日という日をあなたは私に始めさせてくださったのだから
     それゆえ七重の祝福をそのページを満たすすべてのことばに込めよう