同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-20 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

聖書信仰について以下のことを掲げ、終わりにします。聖書信仰その基本は「聖書はすべて、誤りのない神のことばである」と信じることにあります。

・「聖書はすべて」
 聖書の一部ではありません。「すべて」が対象です。聖書には通常、今の世に起こりうるできごとと神が特別になされたみ業、奇跡が区別されずに記されています。聖書に書かれていることはすべて真実です。

・そしてそれらが「神の霊感によって」
記されました。その意味は、聖霊が聖書を書いたひとびとのを導いて神の書を書かせなさったということを意味します。書いた本人は、時には直接神からことばを授けられて、「神はこう言う」と書きましたし、そういうことなく、自分の思いのままに歴史を記し、文章、手紙、詩を書いたのですがそれを聖霊が導かれたということです。

・創世記の創造やノアの洪水の記事、出エジプト記、民数記、申命記のエジプトと荒野の旅の時神がなされたみ業の記事、ヨシュア記に記されている神のみ業の記事、サムエル記、列王記、歴代誌に記されている預言者たちを通して神がなされた奇跡の数々、ダニエル書に記されている神のみ業、新約聖書のイエスと弟子たちの奇跡のみ業、パウロはじめ使徒たちの奇跡のみ業、それらに神の奇跡が多く記されています。

・今の世の中は「自然科学」の分野に多くの信頼が置かれています。大切なことは、聖書の「奇跡」の記事を「科学」で解釈しようと思ってはいけないことです。
「創造」は神の奇跡のみ業です。イエスが水の上を歩いて弟子たちの乗っている舟まで歩いてこられたと書いてある記事を、皆さんは事実と信じるでしょう。それを「科学」で証明できるでしょうか。そんな必要はありません。聖書に書かれたことがそのときだけ起きたと理解すればよいのです。同様に創造の記事も科学では証明できません。創造の記事の躓きは、時間の問題にあります。自然の法則も、時間も神が創造されたもので神はそれらに縛られることはありません。

「聖書はすべて誤りのない神のことばです。」