同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— A・W・トーザー -<私たちの時代の預言者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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     シカゴにあるA・W・トーザー博士*1が設立した同盟教会の中で、私は、群を抜いて優れた牧師に会ったと印象づけられた。彼は、上品で腰の低い人ではあるが、神のための総合事業の器であるという思いを与える人である。彼は、会う人の魂の深みを直ちに見抜く人のように見えるが、それでいてその人には、安心感を残す人のように思える。私たちが短く引用しようとしている彼の回心物語が記された、伝記の裏表紙には、次のように記されている:「農場の出身で、一クラスしかない田舎の学校の教育しか受けられなかった少年であったが、トーザー博士は、学者の地位を獲得し、賢者、予言者、キリスト教神秘主義者といった形容詞が彼に用いられた。多くのクリスチャンの心に、神の深遠な事柄への渇きを与えた・・・彼の働きは、預言者、学者、神秘主義者、神学者、牧師、宣教師、詩人、著述家、編集者・・・」

     「彼は、説教者達や大学生達への説教者であった。毎週のラジオ放送は、彼の影響力を増し加えた。彼は津々浦々で好評を博した。「アライアンス・ウィットネス」誌の編集者として、彼は、国際的に認められた。彼の論説は、アメリカ合衆国と、イギリスとで同時に発行された。彼の著作物は、15ヶ国語以上に翻訳された。

     ムーディ聖書学院長であるウィリアム・カルバートソン博士は、トーザー博士を「預言者であり、神の人であり、その説教と共に、彼の生活がその事実を証明している。彼は、ひどく貧しい私たちに対して、神のメッセージを雷鳴のごとく語る。」と言った。また、偉大な宣教師政治家であり、著述家であり、教授でもあるサムエル・ツウェーマー博士は、彼の人格を評して「神を慕い求める渇いた心、主の道のはずれにでも到達したいという熱意、罪人を愛する主の愛の深さ、近づきがたいほど高い主の威厳を持ち、・・シカゴに住む忙しい牧師で、・・自力で学者となり、膨大な神学書や霊想書を読んでおり、神を求めて夜遅くまで勉強する人のように見える。」と語った。

     デイビッド・J・ファント二世によって書かれた彼の伝記は、「A・W・トーザー、20世紀の預言者」と題されている。彼の回心は、次のように述べられている:
     「幼いときより、常に、彼の行動が模範的であった訳ではない。ほんの些細な刺激で、近所の子供たちにけんかを売って、その子らの母親たちから激しい怒りを受けた事もある。ある日、トーザーとその妹がリンゴの木に登り、大声で歌い出した:「僕のような子どものいる場所が、天国にはありますか?」たちまち、答えが返ってきた:「もし万一、君のための部屋が天国にあるとしたら、君は自分の行いを悔い改めなければならないよ!」と、ひとりの洞察力のある近所の主婦が木の茂みから出てきた・ ・・。

     「アブラハム・リンカーンのように、農場での日曜日は、読書に専念し、トーザーの手元には、わずかの本があるのみだった。15歳の時、アクロン*2で、彼のうちにある画家としての才能が明らかになりはじめた。彼は、風刺漫画のレッスンに通い、相当期待された。彼のスケッチの中にある、機知の鋭さは、未来を予想させた。しかし、彼は、回心後、それに対する興味を全く失った。」
    「アクロンにおいて、トーザーの家族は初めて教会に出席する機会を得た。そして、トーザーは、弟や妹たちといっしょに日曜学校に通った。」
    「アクロンにおいて、大きな出来事が起きた。1915年、トーザーが18歳の誕生日を迎えるちょっと前に、トーザーは回心した。トーザーにとって、その体験は、ダマスコ途上のサウロのような、転換の体験だった。時間も場所も異なるが、確かに、その結果は、同じであった。にぎやかな街角で、年輩の男が路傍説教をしていた。彼の話はひどいものだった:『もし、君たちが、どうしたら救われるのかを知らないなら、こう言って神に祈ればよい。「神様、罪人の私を憐れんでください。」』トーザーは、聖所を探して屋根裏部屋へ行き、そこで神と格闘した。彼が新しく創造された者となったことが明らかになったとき、トーザーは、メソジスト教会に加わり、ブレザレンの教会に夢中になり、そこで洗礼を受た。」

     「回心は一瞬の出来事であるが、一般的に、その種は、遙か以前に蒔かれたものです。神が、その生涯のかなり早い時期に、この青年に、御手を置かれたが分かる。種を蒔かれる土壌は、幼い彼に神についてしばしば語った彼の父方の祖母によって耕されてきた。」

     「トーザーは、すぐさま、キリストについて、証をし始めた。彼は、新しく見つけた、路傍で説教し、近隣祈祷会を指導する友人の仲間となった。これらの活動のため、その家庭で集会をさせてくれる恩恵を求めて大胆に玄関のベルを鳴らした。」

     「一度だけ、彼は道に迷った。少年時代の親友と共に、彼は、家と仕事を捨て、将来の特別な目的もなく、オハイオ川をボートで下った。そのボートは転覆し、彼らの持ち物一切が失われ、彼はこっそりとアクロンに戻った。しかしながら、その経験は、無意味ではなかった。というのは、その事を通して、彼は、信仰を失った人々に対して共感できる者とされたからです。その後、彼のクリスチャン人生に、動揺はなかった。」

     「若者として、彼には、皮肉な態度をとる傾向があった。しかし、時が過ぎるに従って、聖霊の柔らかな風によって調整され、彼の疑いは、揺らぐことのないキリスト信仰に変わっていった。」

     「回心は、トーザーの人生に奇跡をもたらした;その奇跡のゆえに、彼は、知性や、その他の才能を開花させていった。家族の者たちや友人達は、すぐに、その変化に気が付いた。しかし、長い向上の巡礼は始まったばかりであった。人格は、経験によって形成されねばならない;神についての恵みと知識において成長しなければならない。次第に、一日一日と、皮肉な考え方は、信仰に道を譲り、親切と思慮深さは、喧嘩っ早く議論好きなスピリットに取って代わった。トーザーは素早いスタートを切った。そして、人生のゴールに達したとき、「私は、神が思いやり深く、寛大であり、すべての道において寛容な方であることが分かった。」と語った。

    *1:トーザー
    日本では「神への渇き」という著著が出版されています。

    *2:アクロン
    アメリカ合衆国オハイオ州にある、現在は人口20万人弱の市。
    小さい町ですが、歴史があって、米国ではよく知られている町のようです。
    ウィキペディアにかなり詳しく解説されています。
    ウィキペディア:
  • アクロン