同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— チャールズ・ハッドン・スポルジョン <説教の王者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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    チャールズ・ハッドン・スポルジョンの名は、非常に有名なので、このロンドンの説教者につて、改めて語る必要はほとんどない。メトロポリタン・タバナクル(6,000人の座席がある)という彼の教会を建設中に、その会衆は、‘サリー音楽堂へ移り、彼は、そこで、1万人を数える聴衆に説教した。彼の時代に、最も人気のあった説教者22人分の聴衆である。’(ウィクリフ教会人物辞典)。1892年に彼は死んだが、‘彼の説教は、1917年に至るまで、毎週、出版された。彼は、その時代に、最も人気のある説教者であり、偉大な説教者であった。’(アードマンキリスト教史ハンドブック)。彼の影響力は、講壇に限定されることなく、彼の‘著作物は、桁外れの発行部数に及んだ・・・二千を越える説教が出版された。49巻セットの『メトロポリタン・プルピット』は、巨大な著作である。’(ウィクリフ教会人物辞典)彼は、他にも本を出版し、孤児院、聖書協会、パスターズ・カレッジ、枝教会などを設立した。彼は、D・L・ムーディの友人であり、支持者でもあった。彼はバプテスト派の指導者であったけれども、すべての人に尊敬された;ひとりの英国教会の牧師は、それを次のように表現した。
    “スパジーという名の年老いた説教者がいた。彼は、礼拝式文を用いなかったが、 彼の説教は洗練された見事なもので、私はそれを私の式文に取り入れよう。他の国教会の牧師たちもその様にするだろう。”

     英国教会の名目上の長でありながら、うわさでは、それはヴィクトリア女王であるとのことであるが、一度、変装して彼の説教を聞きに行った。
    スポルジョンの回心の物語は、第一に、「案内役の机から、タバナクルの講壇へ」の中から彼の生涯に関するものと、彼自身が書いた「スポルジョンはいかにしてキリストを見出したか」という多くの版を重ねたチラシから引用する。彼自身のことばによる:
    「私自身が、どのようにして、真理の知識へと導かれたかを語ろう。それを語ることが、誰かをキリストに導くことになるかもしれない。神は、私が少年時代に、罪の自覚を持つことをよしとされた。私は、惨めな生活をしており、何の希望も、慰めもなく、神は、決して私を救ってはくださらないに違いないと思っていた。ついに、最悪のところに最悪の事態が重なった。―私は惨めであった。」
    「私は、救いの道を見出すために、私の住んでいる町のすべての礼拝所を尋ねてみようと決心した。もし神が赦してくださるなら、私は喜んでどんな事でもするし、どんな者にでもなろうと思った。私はすべての教会を行き巡ろうと決め、出発し、礼拝するあらゆる場所へ行った;私はその人々を尊敬するけれども、私は、彼らから、一度でも、福音の十分な解き明かしを聞いたことがなかったと言わざるを得ない。私が何を言いたいかといえば、彼らは、真理、すなわち偉大な真理、彼らの会衆の多くにふさわしい多くの良い真理をを説教していた。しかし、私が知りたかった、どのようにして罪の赦しを得ることができるかということについては、彼らは、一度も話してくれなかったということです。私は、どのようにして、罪の自覚を持った哀れな罪人が、神との平和を見出せるかを聞きたかった。私は何度も何度も出かけたが、どの礼拝の場所へいっても、私よりも注意深い聴衆は、一人もいなかった。なぜなら、私は、どうしたら救われるのかを知ろうと熱望し、あえいでいたからです。」
    「私の悩みの秘密は、こうであった:私は、福音を知らなかった。私はキリスト教国に生まれ、クリスチャンの両親を持っていたが、私は、福音の気軽さと平易さを理解していなかった。私は、私の住んでいた町のすべての礼拝所を訪ねたが、正直に言って、私は、福音が十分に解き明かされるのを聞かなかったと思う。一人の人は、神の主権について語った。しかし、救われるには何をしたらよいのかを知りたいと願っている哀れな罪人にとって、それが一体、何であろうか。また、いつも、律法について語る、別の立派な人もいた。あるいは、偉大な実際的説教者もいた。私は、彼の説教を聞いたが、まるで、足のない人々の一団に、戦争の作戦行動を教えるために号令をかけている将校のようであった。」
    「私は、時々、礼拝へ行こうとしていたあの日曜日の朝、神のいつくしみによって大吹雪きが送られてこなかったなら、私は、今でも暗黒と絶望の中に他であろうと思う。私は、もう、これ以上進めなくなった時、路地を折り返して、初期メソジストの小さなチャペルに入った。そのチャペルには、十四、五人の人々がいた。その朝は、多分、雪のために、牧師が来る事ができなかったのであろう。見たところ、靴屋か仕立て屋といった風采の、一人の貧相な男が講壇にのぼって説教をした。」
    「さて、あの牧師たちは、十分教育を受けた人々であり、一方、この人は、言わせてもらえば、本当に無学な人であった。他に語るべき事が何もなかったという単純な理由で、彼は、選んだ聖書の御言葉を何回も繰り返さざるを得なかった。その聖書の御言葉は、「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。(イザヤ45:22)」であった。彼は、単語すら、正確に発音することができなかった。しかし、それは問題ではなかった。」
    「その聖書の御言葉の中に、私の希望の光があると思った。彼はこのように語り始めた:
    『愛する友よ。これは、本当に短い聖句です。見よと書いてあります。それは、非常な努力の要ることではありません。足を上げることでも、指を上げることでもありません;ただ、‘見る’のです。さて、人は、見ることを学ぶために、大学へ行く必要はありません。見るのに、千年も費やす必要はありません。誰でも見ることができます;小さな子供でも見ることができます。しかし、これがこの聖句の謂(い)わんとするところです。そして、御言葉は、‘わたしを見よ’と言います。ああ、多くの人は、自分自身を見ております。自分自身を見ても無益なことです。あなたは、決してあなた自身のうちに平安を見出すことができません。イエス・キリストは‘わたしを見よ’と言います。ある人々は、‘私は聖霊が働かれるのを待つべきだ’と言います。しかし、今は、あなたのなすべき事は、それではない。キリストを見よ。‘わたしを仰ぎ見て’と書いてある。』」
    「彼がやっとのことで話を引き伸ばして、10分ぐらい経った時、ついに話の種が尽きてしまった。そして、会衆席の私を見、恐らく非常に少ない出席者であったので、私が新来会者であることがわかったのでしょう。こう言ったのです。『お若いの。君は非常に辛そうに見える。』確かにその通りではあったが、私は、かつて、講壇から私の風貌について、そのように語りかけられたことはなかった。しかし、それは強烈な一撃であった。彼は続けた:『もし、君がこの御言葉に従わないなら、これからもずっと惨めであろう。そのいのちにおいても惨め、その死においても惨め。しかし、今、君が従うなら、その瞬間に君は救われるのだ。』」
     「そして彼は、初期メソジストだけができるやりかたで叫んだ。『若者よ。イエス・キリストを見よ!』私はまさにその時、見た。その時、そこで、雲ははれ、暗黒は消え去った。その時、私は太陽を見た;その時、私は立ち上がって、非常に熱狂的な人々と共に、キリストの素晴らしい血潮と、彼のみを見上げる単純な信仰を歌うことができた。ああ、あの無名の人物が、つい先ほど、私に語った通りであった:キリストを信ぜよ。さらば救われん。」
     「私は、今、罪人に語りかけることをしない説教を決してしてはならないと思う。罪人に語りかけることなしに説教できる牧師は、いかにして説教するかを知らないのだと強く思う。」