同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語

— 聖歌655番「主がついてれば」 —

     作詞;アンナ B. ワーナー(1820-1915)
     作曲;ウィリアム B. ブラッドベリー(1816-1868)
     引照;「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」(マルコ 10:16)


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

  • こちら
  • にアクセスすると元の文を読むことができます。>

     疑いもなく、子どもたちをキリストへ導くのに、最も大きな影響を及ぼした賛美歌は、1880年にアンナ・バートレット・ワーナーによって平易な言葉で作詞されたこの賛美歌です。ワーナー嬢は、この詩を、妹スーザンの書いた“Say and Seal”というベストセラーの小説の一部として、妹に協力して書いた。多くの人の心をかきたてたその小説の構想はほとんど覚えられていないが、その小説の登場人物の一人、リンデン氏が死にかけている子どもジョニー・ファックスを慰めるために口ずさんだ単純な詩が、今日まで、世界中の子どもたちに親しまれる賛美歌として残った。

     アンナとスーザン姉妹は、高等教育を受けた、敬虔な若いクリスチャン婦人で、ニューヨークのハドソン河畔にある、忙しい世とは離れた、閑静な美しい土地に、生涯にわたって住んだ。彼女たちの住まいは、ウエスト・ポイントにある合衆国陸軍士官学校の近くにあったので、二人は、長い間、士官候補生たちのための日曜学校のクラスを指導した。彼女たちの住んでいた家(Good Crag)は士官学校に遺贈され、国の聖堂とされた。二人の姉妹は、共に、若い陸軍士官たちの人生に、霊的貢献をしたことが認められ、陸軍葬をもって葬られた。ニューヨークでよく知られた法律家であり、妻に先立たれていた彼女たちの父の死後、ワーナー姉妹には、わずかな収入しか残されず、当然、真剣に、文筆活動に頼らざるをえなかった。特に、スーザンは、いくつかの作品によって有名になった。その作品の中には、当時、「アンクル・トムの小屋」に次ぐベストセラーと見なされた「広い、広い世界(The Wide, Wide World)」がある。

     スーザンほどの名声を得なかったけれども、アンナも「エミー・ロースロウプ」というペンネームでたくさんの小説を書き、「教会の戦士たちの賛美歌集(1858)」と「旅路の賛美歌集,創作と翻訳(1869)」という二つの詩集を出版した。

     「主がついてれば」の人気は瞬く間に国境を超えて広がった。あらゆる文化圏において、この詩が子どもの心を動かす普遍的な力を持つことが、宣教師たちによって報告された。これは、海外の回心者たちが救われて最初に覚える賛美歌の一つでもある。この賛美歌は、他の宗教団体によって、盗用すらされてきた。;宣教師たちは、ある仏教寺院において、人々が、「仏はわたしを、仏はわたしを愛してくださる…」と歌うのを聞いたと報告している。

     この賛美歌の作曲者であるウィリアム B. ブラッドベリー博士は、アメリカにおける初期の賛美歌学の発展に重要な貢献をした人のひとりです。彼は、1816年10月6日、ヨーク州のメインに生まれた。若いころ、マサチューセッツ州のボストンに移り、アメリカの公立学校と教会音楽の父としばしば呼ばれる、ロウエル・マンソンと交際した。ブラッドベリーは、東部のいくつかの大きなバプテスト教会の聖歌隊の指揮者として、また、オルガニストとして奉仕した。そこで、彼は、子供たちへの働きで、特に注目されるようになった。
    彼の注目すべき経歴の中には、年一度催される音楽祭がある。そこには、千人以上の子供たちが集い、同じように着飾り、彼自身の作曲した多くの曲を歌うのです。たちまち、ブラッドベリーは、精力的に、教え、書き、音楽に関するたくさんの本を出版するようになった。1861年、ブラッドベリーは、特に、アンナ・ワーナーの作詞した「主がついてれば」のために作曲し、個人的に、4節目のための合唱曲をも加えた。