同労者

キリスト教—信徒の志す—

信仰良書

   — 神への道(94) —

     D.L.ムーディー著    


<ペテロのうぬぼれ>
  ペテロが転落した最初のステップは彼の自信過剰にありました。
主は彼に警告されました。
主は言われました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ 22:31-32)
ペテロは答えました。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ 22:33)
「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マアイ 26:33)
「ヤコブとヨハネ、そして全部のものがあなたのもとを去っても、あなたは私を計算に入れることができます!」
「ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」」(マルコ14:29)
しかし主は彼に警告されました。
「しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」」(ルカ 22:34)
主は彼を叱責されましたが、ペテロは死に至るまで主に従う備えができているといいました。
そのおおぼらが転落にいたる前兆です。
私たちは遜って静かに歩みましょう。
私たちには強力な誘惑者がいます。そして警戒をしていないとき、私たちはつまづき倒れてキリストに恥をもたらします。
ペテロの転落の次のステップは寝込んでしまったことです。
もしもサタンが教会を眠りこけさせることができたら、彼は神ご自身の民によって働いたのです。
ゲッセマネの短い時間見張りについていることに代えて彼は眠りに陥りました。そこで主は彼に問いかけられました。
「そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。」(マタイ 26:40)
次に起きたことは彼が肉体の力で戦ったことでした。
主は再び彼を戒めて言いました。
「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ 26:52)
イエスはペテロがしたことをもとに戻されました。
次のできごとは彼が「遠く離れてついて行った」ことでした。
一歩また一歩と、彼は遠くに離れます。

神の子どもが遠く離れてついていくのは悲しいことです。
あなた方は世の友たちと懇意にし、その影響力を悪い方に投げかけている彼をみるとき、彼は遠く離れてついていったのであって、それは遠からず古い親族の名に恥辱をもたらすでしょう。そしてイエス・キリストは彼の友の家で傷を受けることになるでしょう。
この男が、彼の例によって、他のひとびとをつまずかせ、誘惑に負ける原因となるでしょう。

<もう一つの誤った歩み>
 次に、ペテロはキリストの敵たちと顔見知りで仲良くしていたことです。
ひとりの婦人がこの大胆なペテロに言いました。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」
しかし彼はみんなの前で否定して言いました。「いや。私はあなたの言っていることが分からない。」 そして彼が玄関口から出ようとしたとき、他の女中が彼を見てそこにいた人々に言いました。「彼はナザレのイエスと一緒にいた男です。」
すると再び彼は否定し誓いました。「私はその人を知りません。」
少し時間が経ちましたが、まだ彼は自分がどのような立場にいるか悟っていませんでした。もう一人のひとが確信をもって主張しました。彼はガリラヤ人だ。彼の言葉はガリラヤなまりだから間違いない。
それで彼は怒り、呪いをかけて誓い始め、再び主を否定しました。そのとき鶏が鳴きました。(マタイ 26:69-74)
彼はうぬぼれの頂点に立っていましたが、一歩一歩降って行き、彼の主を知らないと呪いを持って誓ってしまいました。
主は彼を振り返り、彼に言いました。
「ペテロ。それは本当ですか。あなたはそんなにすぐにわたしを忘れたのですか?
あなたの妻の母が熱の病であった時、病を叱って彼女から去らせたのを覚えていないのですか?
あなたは一網の魚に驚いて、「主よ。私から離れてください。私は罪深い男ですから」と言ったことを思い出さないのですか(ルカ 5:8)?
あなたは「主よ。助けて下さい。私はほろびます。」と叫んだあなたの声に応えて、わたしの手であなたが沈まないように引き上げたことを覚えていないのですか?
変貌の山で、やこぶとヨハネと一緒に、あなたはわたしに「主よ。個々にいることはよいことです。・・・私に三つの幕屋を建てさせて下さい。」と言ったことを忘れたのですか(マタイ 17:4)?
あなたは晩餐の席とゲッセマネにわたしと一緒にいたことを忘れたのですか?
あなたがそんなにもすぐわたしを忘れたのは本当ですか?
主はこれらの質問で彼をとがめられたかもしれません。しかし主は優しさ以外のなにもなさいませんでした。
彼はペテロの視線を投げかけました。それには大胆な弟子のこころを打ち砕く非常に大きな愛がありました。それでペテロは外に出ていって激しく泣きました。
そして、キリストは死から甦った後で彼に会い、誤った弟子をいかに優しく取り扱われたことでしょう。

<「弟子たちとペテロに告げなさい」>
 墓で天使は言いました。「主の弟子たちとペテロに、言いなさい。」(マルコ 16:7)
ペテロは主を三度も否定しましたが、主はペテロを忘れはしませんでした。そしてその弟子が悔い改めに進むことができるよう親切な特別のメッセージをなさいました。
なんと優しく愛の救い主であることでしょう!
友よ、もしもあなたがたが迷い出たひとりであるなら、主の愛のまなざしを見て戻りなさい。そうすれば彼はあなたに彼の救いの喜びを回復してくれます。
終わる前に言わせて頂きたい、これらのページを読んで何人かの信仰の後退者を神はその信仰を回復されたと信じていることを。回復したひとびとはやがて有益な社会の構成員となり、教会の輝かしい飾りとなることでしょう。
もしダビデが回復されなかったなら私たちは詩篇の32篇を決して手にしていなかったでしょう。
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。」あるいは背信者が回復されたことが書かれているあの美しい詩篇51篇を。
あるいはまたあるひとりの信仰の後退から回復された人物の説教によって3千人が悔い改めたペンテコステの日の素晴らしい説教を私たちは持っていなかったでしょう。
神は他の信仰の後退者を回復させるために、彼が以前そうであったことを神の栄光のために千回も用いられるかもしれません。
(完)